幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

ふちなしのかがみ

現実と鏡、真実と夢の境目がなくなってしまう……


「ふちなしのかがみ」という話の主人公、香奈子は夢の世界に囚われ、おかしくなっていってしまう…


ふちなしのかがみ (角川文庫)

ふちなしのかがみ (角川文庫)

わたしは昔から「お化け」というのが怖くて怖くてたまらなかった。
小学三年生の時、遊園地の中にあったお化け屋敷に入り、号泣。それからというもの、非科学的なオカルトものがなんだか怖いと思うようになった。
学校の怪談」という本が学校で流行った時も「怖いの嫌だ」と中々手につけられなかった。「世にも奇妙な物語」なんて番組を親が見はじめたときはすぐさま逃げていた。
魔女が大好きのくせにお化けは怖いというよくわからない子供だった。まぁ私の中の魔女はプリキュアに近く、力を持って自分の好きなようにできたり、可愛いコスチュームに変身したりすることに憧れを抱いていたのだけれど。
しかし、次第にわたしはオカルトを全く信じなくなる。
中学生のとき。ある時こんな噂が流れた。
「ハッピー、坂川くん(仮名)のことが好きなんでしょ?」
坂川くんは私の通っていたピアノの先生の息子さんだ。同い年で同じ中学の人だった。
坂川くんのことは別に好きでも嫌いでもなかった。ピアノはなんとなく習っていただけで、坂川くん目当てではない。
それにわたしは当時別の男の子のことが好きだった。上から目線で申し訳ないが坂川くんにはそんなに執着してなかった。
「ちがう。坂川のことは別に好きじゃない」
「照れてる〜素直になりなよ」
いや照れてないし素直な感想ですが。
私は心からそう思っていた。
最初のうちはまだよかった。だが次第に「ハッピーは坂川が大好き」という噂が坂川くん公認になるほど膨れ上がった。ことあるごとに坂川ネタでいじられ、坂川くん本人が「ハッピーなんか好みじゃないし好かれてる俺可哀想」などと吹聴していた。皆はエンターテインメントのごとく楽しんでいた。
極め付けは同じ部活の子に言われた一言だった。
「ハッピーが部活休んでるとき、こっくりさんしたんだ。そしたらハッピーの好きな人だれって聞いたら『坂川』って」

こっくりさんもこう言ってるからやっぱり坂川のこと大好きなんだね!」

………。

いやだから私坂川のこと好きじゃありませんから〜!残念っ!!!(波田陽区の声)

こっくりさんかなんだか知らないけど「坂川」ってなったんならそりゃ貴方達の指がそうしたんだろ。わたしは別の男の子が好きだったわけだし。
やっぱりオカルトとかまじないなんて嘘ばっか。そんなもんあるわけない。

…と次第にそう思うようになるという。
私は坂川くんが好きじゃなかったからこっくりさん等のおまじないなど全く信じなくなった。おまじないと現実の境界はくっきり分かれていて、融合して曖昧になることはなかった。

でももし、こっくりさんが私の好きな男の子をぴたりと当てていたら。
それか、「ふちなしのかがみ」の話のように鏡に自分の未来が映るというまじないをし、そこに好きな男の子との子供が映っていたら。
たぶん、盲信していたに違いない。
私は○○くんと付き合って結婚して子供ができて…と妄想にふけり、現実を直視できなくなっていただろう。
そうだ。きっとオカルトが楽しいのはそこもあるのだと思う。
現実が辛くて辛くて夢の世界に逃げる。その世界では現実とは違い、幸せで理想。それに執着するあまりに、だんだん歯車が狂っていく。
私はオカルトものに執着したことはないけれど、妄想癖はすごいので、少し分かる気がする。妄想の中の私はしっかりしていて顔も可愛い面白い子だ。そんな自分を想像するのは楽しいし、そうでありたいと願ってしまう。でも現実は。「街中歩いてたらナンパされるから気をつけなさいね」と言われても、されるのは宗教の勧誘ばかり。役所中噂になるほどの仕事のできないポンコツぶり。常に面白い人間でありたいのに頭が悪いので気の利いたことも言えない。
理想と現実が違いすぎて気を病むこともある。理想に近づきたい。そう願い、けれどなれなくて、悲しんでしまう。
きっと、ふちなしのかがみの香奈子もそうだ。
理想を願い、頑張ったつもりなのに全て空回りし、悲劇を起こしてしまう。現実と夢の世界の区別ができなくなり、どんどんおかしくなっていく。
序盤で「私はオカルトを信じてない」と言ったが、やはり言い切れないのかもしれない。高い理想を持って願う私はきっと香奈子とそう変わらない。「鏡のおまじないなんて」とバカにしてたけど、もし私が香奈子と同じ立場ならのめり込んでいたかもしれない。

私じゃなくても、もしかしたら誰にだって理想はあって、なにかのはずみにおまじないを信じてしまうことはあるのかもしれない。それが良い方向に転ぶことももしかしたらあるかもしれないけど、のまれてしまうことも十分にある。
その怖さも、もしかしたら魅力の一つなのかも。そういうふうに思った。

皆さんもぜひ、「ふちなしのかがみ」を読んでみてください!

それでは、さようなら。

クローバーナイト

家族ってなんだろう。

大切でもあるし、鬱陶しくもあるような気がする。自分のことを応援してくれると思いきや、やることなすこと反対されたり。

今回読んだ本を読んで特にそう思った。


クローバーナイト (光文社文庫)

クローバーナイト (光文社文庫)

「クローバーナイト」は主人公の裕と妻の志保、莉枝未と琉大の2人の子供を取り巻く家族ストーリーだ。
不倫をしてるのではないかと噂される母、保育園に子供をいれるために奮闘し疲れ果てる母、小学校受験をさせるためにこれでもかと教育を施す母、壮大な誕生日会に疲れる母…
そして孫の発達を心配する祖母とそれにイライラしてしまう母。
書いてみて気づいたが、主人公は父親の裕なのに、それぞれの話の当事者は母だ。最近はイクメンと騒がれてるけど、やはり育児の中心は父親ではなく母親なのかもしれない。
様々な話の中で志保が子供を保育園に入れる際、姑と対立してしてしまった、というシーンがある。「小さい子供を保育園に入れるだなんて可哀想」と冷たく言われてしまうのである。
それはなんだかわかる気がする。
私の母は結婚と同時に仕事をやめて、専業主婦として家事育児をやってきた。母の中では「母親のもとで子供を大事に育てたい」という思いもあったのだろう。たぶん。
だから「子供は絶対地元の公立幼稚園に入れる」という謎ルールを掲げていた。
「小さい時はお母さんと一緒にいさせたい」
「仕事をすることによって子供を保育園に預けるなんて可哀想」
と思っていたらしい。
私たち三姉妹は全員地元の某公立幼稚園に入れられた。そこでの日々は普通に楽しかったし、普通に満足している。
それから地元の公立小学校、中学校、高校、大学と進学していった。幼稚園から大学まで地元の公立だなんて今考えると少し笑える。華々しい学歴とは程遠いし、この教育方針は間違っていたのかはよくわからない。でも、この人生に今のところそんなに後悔してない。死ぬほど辛かった中学生活も、あれによって今の人格が形成されてる感があるのでまぁいっかという感じだ。
後悔してないから、「地元の公立の教育機関に入れさせる」ことがいいことのように思っていた時期もある。保育園に入れさせられた子供はそのぶん親に甘えることも難しそうだ、なんて思っていた。子供よりも仕事、そんなイメージがあって、子供が荒れてしまうのではないか、と考えていた。
でもそれはきっと違う。
わたしの伯母は伯父と共働きだ。毎日看護師として夜勤夜勤とバリバリに働いている。従兄弟を生む時に一年産休を取ったものの、すぐに復帰して働いた。
それを母は最初よく思ってなかった。
「○○ちゃん(伯母の名前)、子供がまだ小さいのに働くって…子供が可哀想。保育園に入れるなんて。ちゃんと育てないといけないのに。荒れたらどうするんだろう」
なんて言っていたし、私も最初それに同意していた。
しかし、従兄弟は荒れるどころか大人しくていい子に成長した。
そこで、「保育園に入れられた子供」は可哀想ではない、ということがよくわかった。
伯母はバリバリ働いていたが、従兄弟に愛は注いでいた。料理も伯父と交代しながら作り、2人で協力しながら育児をおこなっているように思う。保育園も幼稚園とそんなに変わらない教育が施されるわけだし、むしろ母のキャリアが保たれるという点では保育園の方がいいように思える。
私は今働いているわけだが、結婚と共に仕事を辞めるか?と聞かれると正直やめたくないというのが本音だ。今の仕事はやりがいも感じているし楽しい。これからキャリアも積んでいきたいと思っている。それなのに結婚とともにそれが犠牲になるなんて嫌だ。子供ができたとしても伯母のように働いて家事育児と仕事を両立させたいと思っている。
でももし、姑に「保育園に入れるなんて可哀想」なんて言われたりしたら。たまったもんじゃないだろう。それは母と私が以前正しいと思っていた考え方ではあるが、今思うととても古い考え方だ。自分が保育園に入れてないからといってそれが正当な育児ではないのだから。
ま、私には彼氏などいないので姑に小言言われるなど妄想でしかないのだが。(号泣)
まぁそれはさておき。
「保育園」の他にも前述したが「小学校受験」なんかも出てくる。名門大学に通わせるために小学校のうちから受験するのだ。
私は小学校受験はそんなに意識したことはないが、「中学受験」には憧れを抱いたことがある。
ハッピー「お母さん、私中学受験したい。私立や国立の中学校に行きたい」
そんな風に言った。
先程とは別の同い年の従姉妹がいるが、彼女は広島でそこそこ名門の中学受験をする予定だった。それがなんだかすごいことのようで憧れていた。
しかし、それも却下された。理由は中学生が山口から広島まで通うなんてアホらしいし、かといって山口には名門学校などない、というのももちろんあるが、「地元の公立中学校に通わす」という、ここでも謎ルールを掲げていたのだ。
仕方なく地元の中学校に通った。
対して従姉妹はそこそこの名門私立に合格し、楽しい学校生活を送っていた。名門私立だから、すごくレベルの高い大学に行くのだろうなぁすごいなぁとボーッと思っていた。
けれど、従姉妹はそのままエスカレーターで受験勉強することもなく附属の大学に進学した。
どうやら小学校の時からずっと塾に入れさせられ、勉強勉強の日々に疲れてしまったようだった。
そこで思ってしまった。
「子供のため」と教育を強制させるのはかえって子供のためにならないのかもしれないな、と。
クローバーナイトでは、小学校受験の賛否も問われてる。「子供のため」と強制的にやらせているのか、それとも「子供に苦労させたくない」と親にできることをさせているのか。
「地元の公立学校に通わす」ことが本当に正解だとは思わない。でも、「子供のため」を思うなら、子供に選択させるのが一番じゃないかと思う。
小学校受験なんて、幼稚園のころからやらせるなんて可哀想だ、という意見は本当によくわかる。幼稚園のまだよくわかってない時期に強制的に教育を施したら私の従姉妹のように勉強が嫌になるのではないかと思う。たとえ子供の将来を案じたとしても、高学歴になるとは限らないし、高学歴だからといってそれが幸せかもわからない。
だから、本人が受験したいと言えば受験させたらいいし、したいと言わなければ地元公立学校でいいと思う。
「子供のため」「子供の将来のため」にキャリアを捨てる母。受験に没頭させる母。みんな子供のために戦うナイトだ。子供のために
奮闘している。時に教育方針で姑や実母、夫と対立してしまうことも起きるだろう。それは皆「自分の育児」が絶対的に正しいからだ。でも本当は絶対的に正しい育児なんてないのだろう。私は「保育園に預け、子供に進学先を選択させるのがいい」と思っているけれど、母は「母親のそばで育てて地元の公立の教育機関に進学させる」と思っていたわけで、たぶんどれも正解ではないし、間違いでもない。
だから「子供のため」と家族と対立してしまった際に「子供」が守れなくならないようにしていきたいと思う。自分たちの子供、家族それぞれを大切に過ごしていきたい。そんな風に思った。

皆さんも「クローバーナイト」ぜひ読んでみてください!

それでは、さようなら。

そんなに食べたかったか

こんにちは、タカハッピーです。

こないだ、スーパーで適当に買い物しているとあるものを発見。


白くて長い野菜…そう、大根です。


なんと値段がびっくり、一本98円だったのです。


ハッピー「やっす!」


嬉々として購入。味噌汁に入れる野菜がちょうど欲しかったし、私ったらツイてる〜!

スキップしながら家に帰り、大根を冷蔵庫に入れようとしましたが…


ハッピー「入らん」


デカすぎて入らず。


ハッピー(今もう秋だし常温でもいっか〜…にしてもデカいなこの大根…これ味噌汁に入りきるかしら…)


そう。よくよく考えてみると大根一本まるまる味噌汁に使えるわけがなく。


ハッピー「適当に大根料理作るか〜。助けてリュウジさん〜」


料理研究家リュウジさんがやってる、レシピのサイトを開き、大根で検索。

大根のレシピがあふれんばかりに出てきました。

ハッピー「どれにしようかな〜!あ、豚バラ大根なんかいいんじゃないかしら!」


中でも簡単そうかつ美味しそうな豚バラ大根に決定。

「よーし!これにしよう。2倍の量作って冷蔵庫に保存しよ。大根…200gだから、かける2で400gあればいいのね。よーし!作るぞー!ところで、この大根何g?」


お菓子作りに使う秤を用意し、大根を上に乗せました。


ハッピー「何gかなぁ…ゔぇっ!!!1170g?!!???」


ででーん!

な、なんと。レシピに書かれてる値の5倍以上の量。


ハッピー「うそん。やばい、豚バラ大根作るつもりが、大根炒め〜豚肉を添えて〜みたいな料理になっちまう。どうしよう〜!助けてうさぎぃ〜!!!」


私は即座に友達のうさぎちゃんにLINE。

ハッピー「大根一本98円で感動して買っちゃった。量多すぎて困ってる」


うさぎ「wwwwwwwwww1本はやばいwwwww 半分でも意外ともて余すのに」


ハッピー「どうしよう…味噌汁に使っても絶対余る…」


うさぎ「大根は冷凍できるよ」


…………!


さすがはうさぎ、天才か。

そこでたてたハッピーの計画

1.大根の半分くらいを豚バラ大根に使う

2.残り半分を3袋に分けて冷凍し、味噌汁作る時に使う


これでなんとかなる!持つべきものは大根ではなく友達。うさぎ愛してるぜ。(突然の告白)


大根の皮を剥き、いちょう切りし…

ハッピー「よし!作るぞー!」

豚バラ大根、いざゆかん。

まずは豚肉を炒め…反面が焼けたくらいに大根をぶち込む。

透明になるまで炒め…調味料をドーン!

ハッピー「よーし、いい匂い…そろそろいいんじゃないかしら」

ここで大根を味見。

ハッピー「いただきます………ん…硬くはないけど歯応えがありますな…もう少し炒めよう…」

しばらくまた炒め…

ハッピー「味見…んん…歯応えまだあるし、味もしみてない…もう少しかしら」

またまた炒め…

ハッピー「そろそろいいやろ…んん…まだ歯応えが…って!これいつまで続けんの!いつになったら大根炒まるの!豚肉が焦げるわ!」

イライラしながら弱火にし、じっくり炒めることに。

イヤフォンをはめ、「この曲が終わる頃に味見しよ…」と気分が上がるように自分なりに努力。(泣けるな)

そうしてしばらくし…

ハッピー「おっ、大根もいい感じに味染みてるし、硬さもよき!よし、やっとできたー!」


それがこちら。


f:id:bzbzbzaptx4869:20200930212944j:plain


やっとできた…やったよ…美味しそう…我が人生悔いなし…(大袈裟)


机の上に並べて…


f:id:bzbzbzaptx4869:20200930213131j:plain


大根炒めながら作った人参の味噌汁と炊いたご飯をよそって…


いただきまーす!


ハッピー「…!美味しい!さすがリュウジさん…!天才だ…!」


ちょうどいい塩加減と甘さ、もう言うことなしのおいしさでしたね。


ハッピー「写真にとってお母さんにも見せよう!今日の晩ご飯、豚バラ大根っと!」


LINEで送信し、しばらくすると既読。

豚バラ大根、頑張って作ったから褒めてくれるかしら。ふふふ…

と思っていた時でした。


母「みかん美味しそうね」


おおっ、早速褒めてくれたぞ。

みかん美味しそうね…か。

………

んん?

f:id:bzbzbzaptx4869:20200930214035j:plain

「みかん美味しそうね」?


ハッピー「私…みかん作ってないですけど………………」


私が作ったのは豚バラ大根!NOTみかん!I'm not みかん農家!!!!!

味噌汁や白米を褒めるならまだわかる!私が手を加えてるから!でもみかんて!ただスーパーで買っただけですけど!!!!!!


速攻友達のうさぎに報告。

ハッピー「豚バラ大根って言ったのに、母の言葉は『みかん美味しそうね』って。どういうことや」

うさぎ「唯一手を全く入れていないみかんを誉める母wwwwww」

ハッピー「おかしすぎるでしょ。せめて味噌汁とかご飯でしょ」

うさぎ「いや、白ご飯おいしそうだねっていわれてもだいぶ戸惑うけどね笑 え、しばらく白米食べれてないんですか??ってなる( ^∀^)」

……………。


た し か に。

戦時中の人ですかってなるな。いくら私が炊いたと言っても白米指摘したらよほどの白米マイスターだよ。


うさぎ「そう考えるとしばらくみかんを食べてないハッピー母はみかんが食べたくなって美味しそうに見えたのかもねw」


な る ほ ど


最近みかん食べてないだろうし、みかん食べたかったのかもしれない…豚バラ大根より魅力に感じたのか…


ハッピー、みかんに完敗。(悲しいなぁ)


皆さんは食料を買いすぎて困ったことはないですか?そういう時は冷凍できるか調べて保存に限りますね。料理に困ればリュウジさんのサイトやクックパッドが助けてくれます。(便利な世の中だなぁ)

私は一人暮らしに見合う量の材料を買い、みかんより魅力的な料理が作れるように頑張ります!


それでは、さようなら。


ハッピーな思考回路

こんにちは、タカハッピーです。

私は本当にいい職場に恵まれ、毎日が楽しいです。

まず同期が面白い人ばかり。

同期1「ハッピー、どこの国の人間やったっけ?」

ハッピー「…?」

ん、、、んん?

どこの国って…

ハッピー「日本だけど…」

同期2「お前ハッピー王国の人間なんやろ」

同期1「そうか。ハッピーターンの国の人間って」

ハッピー「ああ。そそ。私ハッピー王国の王女なの」

そうです。私は高校の頃から「私、ハッピー王国の王女で、ターン王子(ハッピーターンのマスコットキャラ)と結婚してる」だなんだ言っていました。同じハッピーとしてハッピーターンについて勉強しまくってたという涙ぐましい努力の塊なのです(?)

ハッピー「ハッピー王国はみんながハッピーな素敵な国なの」

同期1「やば…」

同期2「もうヤバさしかない…」

ハッピー「なんだと!ヤバくなんかない!みんな幸せ!ハッピー!」

同期1「いやどう考えてもやばいだろ…」

同期2「終わりや…」

なんだよ!ヤバくなんかないぞ!みんな幸せなんていいことじゃないか!

とまぁ楽しい同期からいじられまくってるわけです。笑

そんなある日のこと。

お昼休み、休憩室にいくとその日は同期たちがおらず、一人で弁当を食べてました。休憩時間がズレるのはよくあることなので、気長に待つかーとボーッと食べること10〜15分。

同期1「やほ!今日はハッピー一人?」

ハッピー「うん。同期2と同期3はまだみたい」

同期1「へー」

同期1は保険のお姉さんからもらったチラシを机の上に置き、弁当を広げました。

ハッピー「んー!お、私1位だ!いえーい」

同期1「あ、星座占い?チラシに書いてあるやつね。俺は何位かなぁ。5位か。ふつー」

ハッピー「結果がいい時だけ信じちゃうんだよねー。占い!」

同期1「まぁそうだよねー」

そう話していると、同期1は驚きの言葉を口にしたのです。

同期1「ねぇ、ハッピーって、何星人?」

ハッピー「…?」

……………???????????

な に 星 人…?

こりゃまた唐突だな。さっきまで占いの話してたのに、「ハッピー何の国の人?」みたいなフリを今してきてのかよ。星座→ハッピー星人みたいってこと?いじられの天才タカハッピー、ここでも突然のハッピーワールドを繰り出させるわけな。よし、ハッピー星人って答えるしかないなここは。

ハッピー「ふふ。私はハッピー星のハッピー王国から来た人間よ」

ドヤっとキメ顔。よし、決まった。さぁ、「やば…」「なんなんマジで…」と言いやがれ同期1よ…!

と期待してると…

同期1「ん…?」

首を傾げ、言葉を失ってる様子。

あれ?聞こえなかったのかしら。ドヤ顔したのに恥ずかしいわ。この!

ハッピー「ハッピー星人なのよ私」

もう一度キメ顔。よし、いじれよ同期よ!

同期1「…いやそうじゃなくて。占いの、何星人かってこと。火星人とか水星人とか、そういうやつ」

ハッピー「」

チャラリ〜チャラリラリ〜リ〜♪(嘉門達夫鼻から牛乳

え!めちゃくちゃ恥ずかしい!キャラ作りに没頭するあまり「私ハッピー星人なの」とか聞かれてもないこと答える私やば…!

どんなハッピーなやつだよ!本当の意味でのハッピー星人じゃないか!嫌すぎるわそんなの!ヒェー!

これからはハッピーを意識しすぎないようにします……

とこんなことがあったわけで。笑


同期も皆楽しい人ばかりですが、上司もめちゃくちゃ優しいのです。

上司1「ハッピーちゃん、可愛いね〜」

上司2「可愛いから仕事やってあげる!」

上司3「可愛い可愛い」

皆から可愛がられまくり、「私…もしかして…可愛い…?!」と錯覚を起こすほど。

今日も書類の処理をしている時、ちょうど隣の課の上司に聞く用ができました。

ハッピー「すみません、上司1さん、ちょっと書類のことで聞きたいことがあるのですが」

上司1「あー、、、今かしら」

ハッピー「あっ、急ぎではないので、用が済んでからでいいです」

上司1「あら、ほんと。ちょうど自販機行こうと思って。」

ハッピー「どうぞ自販機に行ってください」

上司「ありがとう!あまりにハッピーちゃんが可愛すぎて…」 

ハッピー「!!!!!」

可愛い…ここでも言われた可愛い…

そう、私は可愛い…可愛い!!!なんていい言葉!!!お世辞と分かっていても嬉しいし元気になる!

ハッピー「えー///ありがとうございますー!!!(//∇//)嬉しいですー」

モジモジしながらフフッと笑う私。

すると、上司1は…

上司1「…? なんで照れてるの?」

首を傾げる上司1。

そりゃ可愛いって言われたら照れますよー!そう言おうと思っていたところでした。

上司1「…私、あまりに喉が乾きすぎてって言ったんだけど…………どこに照れるところが………」

ハッピー「」


チャラリ〜チャラリラリ〜リ〜♪(嘉門達夫鼻から牛乳


あまりに喉が乾きすぎて

→あまりにハッピーちゃんが可愛すぎて


どんな聞き間違い…!

え!可愛いって言われすぎて自分のこと可愛いって思ってたってこと…!可愛いと自意識過剰並に思ってたみたいな…!


友達「うちの犬、可愛いね〜って毎日言ってたから、可愛いって言ったら反応するようになっちゃって」


💡もしかして→ハッピー、犬と同じ


穴があったら入りたいぃぃぃぃぃ!!!!

私は犬!!!!可愛いが名前と思ってる犬!!!可愛いといえば私みたいに思ってしまったぁぁぁ!!!


まさに、ハッピーな思考回路。

それほどに可愛がられてるという意味では、ありがたいことなのですがね。


楽しい社会人生活。もうすぐ半年が経とうとしてます。これからは「何星人?」と聞かれたら「ハッピー星人」と答えずちゃんと占いの星を答え、「可愛い」に過剰反応しないよう頑張ります。


皆さんも、日々頑張ってくださいね。

それでは、さようなら。


噛みあわない会話と、ある過去について

この人、本当に自分が悪いだなんて少しも思ってない。

悪いのはアイツだ、の一点張りだ。

「噛みあわない会話と、ある過去について」の本はそんな人物が登場する。

噛みあわない会話と、ある過去について

噛みあわない会話と、ある過去について

この本は四つの短編集だ。「パッとしない子」という話では、アイドルになって輝いてる佑と小学校時代、佑の弟の担任だった松尾の物語である。また、「早穂とゆかり」という話は小学校時代周りから疎まれていたゆかりが有名な塾長になり、同級生だった早穂がインタビューしにいく物語だ。両者ともに「自分は悪くないのにどうしてこんなにも責められなきゃいけないんだ」「なんにも悪いことしてないのに、こんなの向こうがイジメをしてるもんだ」と登場人物がイライラする。
会話がまるで噛みあってないのだ。アイドルになった佑は松尾に一生懸命思いを伝えるのに松尾は「そんなのおかしい、私はイジメをすすめたわけでも、何かしたわけでもない。悪くない」の一点張りだ。早穂なんて小学校時代からゆかりを見下し、大人になった今でも見下してるから、ゆかりに問い詰められても「私がただ目立ってたからってそんなに恨まなくても」なんて思ったりする。
私にも似たような経験がある。
このブログでは再三書いているが、中学2年生の時にある人物から裏切られた。
わが母校の人間はその人物が誰か推理しようとするかもしれないが、安心して欲しい。その人はわが中学の人間ではない。私の転校前のある人物だ。
誰か明かすのは憚れるので、その人物のことは「彼女」ということにする。性別はそのまま女かもしれないし、男かもしれない。想像にお任せする。
私は中学生の頃、とにかく息苦しかった。死ぬ方がきっと楽だと思うこともあったし、学校にも行きたくなかった。
でも、その中で「彼女」と交わした約束をずっと胸に頑張っていた。世界が私の敵だとしても、きっと「彼女」は私の味方だし、もっと頑張ろう。きっと生きてたらいいことがある。そう思って足を引きずりながら学校に行き、勉強に取り組んだ。
しかし、結局「彼女」は約束を見事に破った。ずっと信じていただけに、私はすごくすごくショックだった。「彼女」は私の味方だと思って今までなんとか頑張ってきたのに、結局はそれも口先だけで、私のことなんかはどうでもよかった。その事実があまりに重くのしかかり、本気で絶望した。
しかし、「彼女」はこのことをきっとなんとも思っていないのだと思う。
高校で「彼女」と対面し、話す機会があった。そこで私は思いっきり怒ってしまった。
「約束、破ったよね。謝って」
「約束…なんのこと?」
「彼女」はキョトンとして首を傾げるだけだった。
信じられなかった。
あれだけ何度も「約束ね」と言い合ったのに、なんなら涙も流したのに、「彼女」にとってそれはなんでもないことだった。私ばかりが本気になって信じていたことが、「彼女」にとってはとるにたらないことだったのだ。
次第に「彼女」は私が怒っていることに対して怒り始めた。「私はなんにも悪いことをしてないのにどうしてあなたはそんなに怒っているの?」と。
意味がわからない。
逆の立場だったら、絶対「彼女」も怒るはずだ。まるで私がどうでもいいことに対してキレてる短気な人間だ、と思っていそうなところに更に腹が立った。
とはいえ、私はその時怒りながらも、もしちゃんと「約束を破ってごめんね」と謝ってきたら絶対に許そうと心に決めていた。
だけど「彼女」はなぜか謝ろうとしなかった。
本気で約束が何か思い出せなかったのか、真偽はわからない。「彼女」は何事もなかったかのようにまた私と接するようになった。
私も水に流そうとした。
でも、心の奥底では「裏切ったくせに」「あなたが約束さえ守ってくれていたら」という思いが膨らんでいた。
大学になってブログを書くようになった。そこで何度か「中学2年生の時、心底信じていた人から裏切られた」と書いていた。
それを読んだのかわからないけれど、「彼女」は間接的にこう言ってきた。
「もう、私のこと許してくれない?ほら、悪いのは私じゃなくて○○だってあなたも知ってるでしょ?」
それを見て、ああ…と納得した。
この人、本当に自分が悪いって思ってないんだな、と。
ごめんの一言も言えないんだな。後悔はしてるかもしれないけど、本当に反省してなくて、私のこと感情のないロボットぐらいにしか思ってない。だから今のような状況にさせるし、こんなことが言えるんだなと。
このブログを読んでるか読んでないかはよくわからない。でもたぶんこの文章を読んでも「彼女」は「なんでそんなにあんたは怒ってるんだ。だから悪かったって何度も言ってるだろ」「それにあんただって非がある」としか思わないのだと思う。
「彼女」からその約束について「ごめん」って一度も言われたことないけど。
やっぱり、「彼女」と私は噛みあってない。
私にとって「約束」はすっごく大きなことだったけど、「彼女」にとっては全くそうではない。「彼女」はなかったことにしたいかもしれないけど、私はちゃんと謝って欲しい。思いの行き違い、過去から、「噛みあわない」状態になっているんだな。と、この本を読んで改めて感じた。
「彼女」はいつか謝ってくれるのだろうか。とりあえず今もまだ待ってる状態ではある。まぁこのブログを読んだらきっと謝るどころか怒ってインスタとかを非表示にするんだろうな、なんて思う。
まぁ謝ってくれることを期待しよう。書きながら気付いたけど、私すっごく上から目線だ。そんなんだから謝ってくれないのかもしれない。私ももう少し自分を見直して過ごした方がいいかもね。そう思った。
ぜひ、皆様もこの本を読んでください。
それでは、さようなら。

あいこの読書感想文を読んで

感想文、書いてみなよ!あいこの書く感想文読んでみたいな。


私はたしかにそう友達に言った。

私はブログを書くことを趣味とし、特に最近は読書感想文をよく書く。読書感想文は夏休みの嫌な課題として片付けられがちだ。しかし、私にとって読書感想文は、自分のことを見つめられる上感受性や文章力をあげられる、とてもいい機会だと思っている。


中高同じだった友達…あいこは、私の憧れだった。

中学生になりたての私は今よりずっと自分に酔っていた。勉強もできる方だったし、作文にも自信があった。人間関係に悩むこともなく、毎日が楽しかった。

吹奏楽部に入るまでは。

私は「中学の時美術部だった」とブログに記しているし、そう言っている。しかし本当はちがう。私は最初吹奏楽部に入っていた。あんまりこの時のことは思い出したくない上、部活を辞めたことはとてもコンプレックスなので隠していたが、この際だから書いた。簡単に言うと先輩たちと折り合いがつかなかった。胸ぐらを掴まれ怒鳴られたり、4〜5人の先輩たちに囲まれ「お前なんかいらないから部活やめたら?」と何度も言われた。親が高い楽器を買ってくれたから辞めたくても辞められず、毎晩部屋で泣いていた。次第に朝起きて学校に行く気がなくなり、朝練にも遅刻しがちになった。後輩が下積みとしてやるトイレ掃除の時間も先輩に捕まり難癖つけられていたため、しだいに同級生からも嫌われ、気がつくと一人だった。

死にたかった。

なんでうまくいかなくなったんだろう。頑張ったつもりだったのにな。

自分で自分が憎くかった。みんなから外される理由はちゃんとあるはずで、普通になれない自分が嫌いだった。

それでも遅刻はしたけれどなんとか部活には行った。みんなから無視され、クスクス笑われても行ってやるんだと意地になっていた。

でも、ある日限界が来てしまう。

「ハッピー、私のリード取ってる?」

部員が楽器に使う道具がなくなると言った。

そんな意図はなかったかもしれない。でも私はそれを「盗んでる」と思われた、なんて感じた。

それだけが原因ではないけど、もう限界だった。

高い楽器を買ってくれた親には申し訳ないけど部活を辞めた。無理だった。耐えられなかった。

そうして美術部に入った。絵を描くことは嫌いではなかったし、心機一転頑張るぞ!と思っていた。

…けれど美術部に入ってからも人間関係には悩まされていた。

私は「元々違う部活にいたけどうまくいかなくて美術部に入りました」グループに所属していた。いつもそのグループのリーダー的存在の子の機嫌をとり、ハブられないようにその子の言うことを聞いていた。

その子に嫌われたくなくて部活の顧問に反抗的な態度もとった。次第にその顧問だけではなく先生たちからも嫌われて、成績も下がっていった。

学校のどこにいても息苦しかった。私の中で世界は中学校そのものだった。一人になりたくなくて頑張っているのに、気がついたら周りに私の味方はいなかった。同級生、部員、先生までも私のことを嫌っているように感じた。部活を一年でやめてしまったことも親に本当に申し訳なくて、普通に部活を3年間やって、友達がいて、先輩や先生とも仲良くできる人が心の底から羨ましかった。

あいこは、そんな私と対極的な人間だった。

3年間美術部を全うし、さらにはみんなの投票で部長をやっていた。いつも周りには「あいこあいこ!」と人が集まり、先生からの信頼も厚かった。頭も良くて、私より成績が上だった。特に文才に長けてて、読書感想文は常に賞に入っていたように思う。

私は彼女になりたかった。

昼休み誰とも話さず勉強していたのに、成績があいこより下なこと。何ヶ月も前から構想を練ったのに読書感想文もあいこの方が上だったこと。一年で吹奏楽部を辞め、途中で入った美術部もうまくいかない私と、みんなの投票で部長になったあいこ。

「知ってる?あいこって生花と習字をすごく小さい時からやってるんだよ」

「あいこのお母さん、帰国子女なんだって」 

ああ…と思い知る。

私と彼女は何もかも違いすぎる。何もかも違うのだ。もう生まれた時から決まっていたのだと確信した。私はもともと皆から嫌われる何の長所もない人間で、あいこは何でもできるすごい人間なのだと。

だから、あいこが「かがみの孤城」を読んで途中で苦しくなっていたなんて、想像もつかなかった。

かがみの孤城」は私が勧めたし、読書感想文を書くように言ったのも私だ。

私の何倍も文才があって頭のいいあいこが、この本を読んだらどう感じてどう文章を書いてくれるのか、読んでみたかった。

私は高校では息苦しさを感じることはあまりなかった。一部の人から嫌われることはあっても、「友達」と呼べる人はいたし、部活を途中で辞めることもなかった。家にいるより学校で過ごす方が楽しかったし、充実していた。

あいことは同じ高校だけれど、3年間クラスが違った上、部活も異なっていたからほとんど会う機会はなかった。

学校に行けてない、という話はTwitterで把握していたけれど、それはもともと体が弱いせいだし、そんなもんかと勝手に思っていた。


『学校に行けば自分が求める「普通」がそこにあって、この足さえ動かせば手が届くのだ。それなのに、説明のつかない対人恐怖感に苛まれて体は動かず、ただただ時間が早く過ぎてくれと祈りながら暗い場所で隠れていた』


あいこは「学校に行けない」ことを苦しみ、普通になることに憧れていたのだ。

驚いた。だって、あいこは人望もあって頭も良くてキラキラ輝いていた。私からするとあいこは「普通」だったし、まさかかがみの孤城を読んで苦しくなるだなんて思ってもみなかった。

私はいろんな人に「かがみの孤城」を勧めたが、皆が口にした「感動した」という感想をインテリっぽく語ってくれるだろうと勝手に思っていた。それが、彼女は胸を痛め、自分のことように苦しみ、もがきながら読んでくれたのだ。


『「普通」って何なんだろう。いつからか求めていたものは、改めて考えるとすごく曖昧で空虚だ。きちんと社会活動に参加している身近な人のことを漠然と「普通」とカテゴライズしていたけれど、私の周りにはそうであっても家庭環境が複雑だったり自分の特性との向き合い方を模索していたり苦労を抱える人はたくさんいるし、それぞれが違う。毎日起こることすべてが良いことで幸せだ、なんて人は多分いない。私が渇望した「普通」はもしかしたら私が知らぬ間に作り上げた「理想」だったのかもしれない』


この部分を読んで、ああ…と納得した。

私は中学のころ、普通になれなくて悩んでいた。私の言う「普通」は、部活をちゃんと3年間やって、友達と呼べる人がたくさんいて、先生からも信頼されてる、そんな人。でもこれって、結局は「私の理想」でしかない。私の理想そのものだったあいこも、自分の生まれた環境を呪い、高校の時はうまく学校に行けないことに心身を蝕まれていた。

もしかすると、「普通」であることを望んでいるあいこは「ハッピーさんは普通だよ」なんて言うかもしれない。私自身は、自分のことを普通だなんて思ったことなどないけれど。

きっと誰もが人間関係に悩み、家庭の事情を抱え、「普通」という理想を願っているのだと思う。あいこの感想文を読んでそれを強く感じた。


「普通」なんてどこにもなくて、きっと誰もが「特別」な人生を送っている』


本当にそうだ。

私もあいこも、このブログ記事を読んでくれたあなたも、きっと普通ではなくて特別な人生を送っているのだと思う。

私は今でも中学の頃の出来事を思い出すと苦しくなるけれど、きっとそれも特別な人生と呼べる一部なのかもしれない。


『もう少し毎日に潜む奇跡を信じてみたい。一生かけても見渡せないほど世界は広いし、敵もいるけど味方もたくさんいる。それに気づいたらどこへだって行ける』


そう、私たちはどこへだって行ける。

これから先何が起こるかわからない。それを楽しみながら生きていきたい。




東京會舘とわたし

こんにちは、タカハッピーです。

今日はこんな本を読み終わりました。

それがこちら。

東京會舘とわたし 上 旧館 (文春文庫)

東京會舘とわたし 上 旧館 (文春文庫)

東京會舘とわたし 下 新館 (文春文庫)

東京會舘とわたし 下 新館 (文春文庫)

辻村深月さんの「東京會舘とわたし」です。
大学時代あんなに本を読んでいたのに、最近全然本が読めてない…読みたい読みたい…と図書館に行って借りました。
同期「何借りたん?」
ハッピー「東京會舘とわたしっていう本。この本はまだ読んだことなかったし、読んでみたくて」
同期「ほんま辻村深月さん好きやねー。あらすじはどんなんなの?」
ハッピー「うーん、一言で言うと、東京會舘という建物とそこで働く人や利用する人の物語かな」
同期「へー。で、その人たちが東京會舘に閉じ込められるんやろ?」
ハッピー「…!」
んなわけねーだろ!笑
ハッピー「違う!普通に大正から戦争、東日本大震災を乗り越えた東京會舘の話だよ!」
同期「ふーん。で、たくさんの人たちが東京會舘に閉じ込められる話なんやろ?w」
ハッピー「なぜそうなる!!」
いやなにをそんなに人を閉じ込めたくなるんだ同期よ…
同期「前に貸してくれた『かがみの孤城』とか辻村深月さんデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』は人が建物の中に閉じ込められるやん。辻村深月さん人を建物に閉じ込めがちじゃないの」
おい!!!なんだその偏見は!!!
異世界的な建物に行くのはその2作品ぐらいだから!!他はそうでもないからな!!
あと「かがみの孤城」は城に行くけど閉じ込められるわけじゃないからな!自由に行き来できるからな!
…と思いつつも同期がその2作品を読んだことのあるという事実は嬉しいわけで。(『かがみの孤城』をゴリ押ししすぎて引かれてしまうタカハッピー)
ありがとう同期。これからも辻村深月さんの本をたくさん読んでくれ。
…とまぁこんなアホな会話をしてしまったわけですが。笑
東京會舘という建物は私にとってそんなに馴染みのあるものではありません。辻村深月さんのエッセイで初めて「東京會舘芥川賞直木賞が受賞されるんだ」と知るほど。
そんな馴染みのない建物の話なのに、気がつけばまるで自分が東京會舘と深く関わっているのではないかという錯覚を起こしてしまいました。
前にもブログで書きましたが、私は文章で食べていけるようになりたいという夢があります。できれば小説家になって、憧れの辻村深月さんと同じ出版社から本を出してみたいなぁ…なんて淡い期待を抱いています。
小説家という夢は小学生の頃から抱いていました。昔から人と外で遊ぶより一人で本を読んでる方が性に合っていたし、中学生の頃なんて昼休みは誰とも話さず勉強してるか本を読んでるかのどちらかでした。読むのは遅いし、高度なことが書いてある本や古典は苦手だけれど、本を読むのは本当に好きでした。読書をすると、作家さんがまるで私のために書いてくれたのではないかと感動し、悦に入ていたのです。魔女っ子にはまっていた小学生の私は「黒魔女さんが通る!!」を読んで魔女の世界を夢見ていたし、厭世的なことばかり考えていた中学生の私は「この世の中潰れればいいのに」と10代特有の人間関係の辛さを書いてる森絵都さんの本に何度も救われました。フィクションの世界に強く憧れ、自分もその世界の中に入れたらどんなに良いだろうと願っていました。
でも、正直にいうとちゃんと小説を書いて完成させたのは2回しかありません。
1回目は小学6年生の時。
2回目は大学2年生の時。
それまで思いついたことがあればチョロチョロとノートに書き込むことはありました。でもどれも途中でしんどくなって放棄していたのです。
「小学生のうちにデビューして、売れっ子小説家になりたいなぁ」
こんなアホなことを小学生の私は言ってましたが、行動が伴ってない。
特に中学生になってからは、前にも書きましたが読書感想文が思うように報われず「自分は文才なんてないのかもしれない」と思うようになり、作文そのものが苦痛になっていた時期もあります。なので高校では全く作文をしていませんでした。
大学生になった時は、友達のうさぎちゃんに「ハッピーちゃんの書く文章好きだよ。小説書いてみなよ」と言われ、「よし!書いてみせるぞ!」と完成させた小説も、今読み返すとタダのゴミです。比喩とかではなく、本当にタダの、ゴミ。
フィクションの世界に憧れ「小説家になりたい」と思っているのに行動と能力が全く追いついてないのです。しかも24歳でデビューした辻村深月さんの年齢にもう少しで追いつきそうになっています。
焦りがジリジリと身を焼いていき、「今のままではダメだ」という考えが脳を占めていきます。自分には作文しか取り柄がない、読書が好きだ、ならもう作家になるしかないじゃないか、でもそんなの夢物語でしかない…と空回りしていくのです。
東京會舘とわたし」の最初の章「クライスラーの演奏会」の主人公、寺井承平もそうでした。
文学が好きで、音楽が好きで、小説家になることを夢見ているのに、親に「馬鹿なことは言うな」と東京から金沢の実家に連れ戻されてしまうのです。
芥川龍之介のデビューした年を超えてしまう、ちゃんと作品を作らなければ、作りたい、作らないと…
周りに自分と同じように小説家を目指している学生を見つけると「ああ、共に頑張ろう」ではなく「焦り」しかわかないのです。
その気持ちはすごくよくわかります。
私も社会人になって中々本を読む機会も文章を綴る機会もなくなりつつあります。このまま終わってしまうんじゃないか…と思うのです。
実家でなすこともなく焦る寺井。まるで私のようでした。
しかしそんな寺井にある転機が訪れます。
寺井は知り合いの編集者のツテでバイオリニストのクライスラーの演奏会のために上京。演奏を聞いた後なんとなく東京會舘へ向かう地下通路を通るとクライスラーとすれ違うのです。
音楽が大好きな、憧れのクライスラーが目の前に。
寺井はその瞬間が忘れられないものになります。
そしてその後、花開いて作家になるのです。
東京會舘は、とても歴史のある建物です。寺井のような小説家を目指す若者、東京會舘で働くボーイ、戦争の中挙式を挙げるもの、GHQに占領された東京會舘バーテンダー東日本大震災で帰宅難民となった人たちなど、たくさんの人がそれぞれの時代を生き、東京會舘と関わり、物語を紡いでいくのです。
小説家になりたくても能力が追いつかない私も、まるでその東京會舘がそばにいるような気持ちになりました。
それは「東京會舘」が「芥川賞直木賞」の受賞の場、「憧れの地」であることだけが理由ではなく、東京會舘に生きる人それぞれが「まるで自分のようだ」「私もそのうちの一人なんだ」と共感したからだと思います。
私は東京會舘に一度も行ったことはありません。でも、読み終わった今では何度か訪れた事のあるような気がします。
東京會舘とわたし」
題名のまんまです。
最近全然作文できてないけれど、もうちょっと頑張って書いてみようかな。まだ夢も諦めたくない。
そんな思いも湧き出ました。
東京會舘とわたし」ぜひ読んでみてください。
それでは、さようなら。