幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

読書間奏文

こんにちは、タカハッピーです。

一昨日、ある本を読み終えました。それがこちら。

 

読書間奏文

読書間奏文

 

 SEKAINOOWARIのピアノ担当しているSaoriさんが書いた、本の感想文とエッセイを交えたものです。私はもともとSEKAINOOWARIのファンなのですが、Saoriさんの文筆力にもかなり惹かれています。心に訴えかけてくるような語りかけ、細密な描写。読んでいてとても丁寧だと思うと同時に、「ああ、天才なんだな」と思わされます。芸術的センスのある人はどこまでもあるんだな、と。

そしてこの題名、「読書間奏文」。読書感想文をもじっておしゃれなものとしています。

読書感想文、読書感想文、読書感想文。私は「読書感想文」と聞くとどうしても苦い思い出がよみがえります。頭が締め付けられ、息を吸い込めなくなるような、そんな感じ。

どうしてそうなってしまったのか。遡ること10年以上前・・・・

「ハッピーさん。ちょっと隣の部屋に来なさい」

小学三年生のころ、突然先生に呼び出され、私は震えるような気持ちで教室を出ました。

何か悪いことしたっけ・・・。テストのすみっこに落書きしたことかな、ちゃんと消したつもりだったけど消えてなかったのかもしれない。いや、掃除中におしゃべりしたことかな、どうなんだろう。

当時の担任の先生はとても恐ろしく、蛇がにらむような表情でひたすら責め続けながら叱ってくるような人でした。とにかく怒られたくなかった私は怒られないためにはどうしればいいか、もんもんと考えていました。

「あ、あの先生、わ。わたし・・・」

怯えながらそう口にすると、先生はにこやかに笑い、

「あなたの書いた読書感想文、とても優れていたから、コンクールに出そうと思うの。今から推敲して清書しましょう」

・・・・え?

目がテンになりました。

怒られると思っていたのに拍子抜けた、というのもありますが、それまで私は読書感想文をそんな風に褒められたことはありませんでした。夏休みになると教育熱心な母は私と妹たちを和室に集め、勉強タイムというものを設け、宿題をさせていました。問題集やポスターといったものは自力でやっていましたが、読書感想文や自由研究は母や父が手伝う・・・いや、ほとんど二人の手によって完成していたも同然でした。

そんな中、担任の先生が、夏休み明けに「もう一度自分で感想文を書いてください。夏休みの宿題とは別の本で」とクラス全員に書き直すように言ったのです。

私は作文が好きではなかったので、テキトーにすませようと、何度も何度も読んだ「こぎつねヘレンの残したもの」について、思うがままに書きました。

それがそんな風に言われるなんて。

「あなたの日記はとても面白い。読書感想文もとても良い出来よ。文才があるわ」

それまで、自分には何もないと思っていたのに。「作業」でしかなかった作文が「才能があるもの」へと輝きながらスライドしていったのです。

それからは感想文は母の力に頼らず、自分で思ったことを書くようになりました。そのたびに担任の先生に「あなたの作文をコンクールに出そうと思うの」と言われ、うははそうでしょ、私には文才があるのだから、と天狗になりました。

・・・本当は先生に気に入られているだけ、だなんてそのときは気づきもせずに。

中学生になり、「私には文才がある」と完全に思い込んでいた天狗の長い鼻がおられる予兆の四月の出来事。

国語の先生が「みなの作文がどれほど書けるか見てみたい。自己紹介の文を書いてくれ」と原稿用紙を配り、私は飛びつくように文章を書きました。

カリカリとシャープペンシルを滑らせ、原稿用紙に塗りつぶしていくかのように次々と文字を書く。書けば書くほど気分は高揚していき、まるで何かにとりつかれたかのように作文を完成させました。

「みな良いできだったが、中でもタカハッピーさんのやつがとても良かった」

にこにこ笑う国語の先生。みなに「すげぇ、さすがハッピーだな」と言われ「そんなことないよー、たまたまだよー」とにやけながら謙遜する私。

・・そんな妄想を浮かべながら、国語の授業をいまかいまかと待ち構えていました。

国語の先生が教室に入ったとたん、「タカハッピーさんえらいな、こんな文書けるなんて」と褒めてもらえると思いにやにやしていると

「みなのこないだの作文読んだ。文法もめちゃくちゃ、どれもまとまりがない。小学校では十分だったかもしれないが、中学校では対応できないぞ。もっと作文が書けるようになれるように」

と、諫めるようにそう言いました。

・・・え?

私の書いた作文は?あれも文法めちゃくちゃでまとまりがないってこと?そんなはずがない、私は文才があるんだから!!

そう躍起になり、「よし、読書感想文では言葉を失わせるほど素晴らしい文章を書いて見せるぞ!!」と夏休みに一生懸命読書感想文を書くことを決意。

何度も推敲に推敲を重ね、「国語の先生をぎゃふんと言わせるぞ」と心に火をくべ、完成させました。

これだけ頑張って書いたのだから、絶対賞に入るはず。清書をするように話しかけられ、また別室で作文を書く日々が始まるんだ。よし、大丈夫だ。

私は自信に満ち溢れ、先生に感想文を提出しました。

しかし、待てど暮せど「コンクールに出そうと思う」と言われることはありませんでした。

そして一か月後、廊下に張り出されている紙を見て絶句することとなったのです。

「Kさん 最優秀賞」

それは、二つ隣のクラスの女の子の読書感想文が市で最優秀に入った、というものでした。

それに比べ、私は・・・何の賞にも入らず。

体中の血がふつふつと沸き立つのを感じました。悔しい。この言葉が体中を駆け巡り、体温までも上がっていっているかのようでした。

Kさん。絶対負けたくない。私も市で最優秀賞に入ってみせるんだ。

中学二年生の四月。私は原稿用紙を引っ張り出し、読書感想文に取り組みました。選んだ本は何度も何度も読んだ、森絵都先生の「宇宙のみなしご」。書いて、書いて、消して消して消して、の繰り返し。授業中も、部活中も感想文の構想を考える日々。

私は書きました。皆がおしゃべりする昼休み。妹たちが楽しく見ているテレビの時間。植物も眠りにつくような深夜。ただひたすら原稿用紙五枚とにらめっこし、手を加えていく。

格闘し、感想文はなんとか完成しました。これが私のできる全力といったところでしょう。「これはすごい、なんとすばらしい作品だ!」と笑う国語の先生の顔が思わず浮かんでしまうほど、私はベストを尽くしていました。

廊下に張り出される紙が気になってうずうずしていました。早く張り出されないかな。私の名前が載らないかな。

一か月後、楽しみにしていた紙は張り出されました。

「Kさん 最優秀賞  タカハッピーさん 入選」

私の名前は載っていました。

「タカハッピーさん、よく頑張ったな」

国語の先生も笑顔でそう言いました。

・・・・しかし私は誰もいないところでツーッと一筋の涙をしたたり落としました。

頑張った。私は頑張ったつもりだった。何がいけなかったんだろう。三か月、すべてをつぎ込んで書いた作文が、入選。一方でKさんは最優秀。何が、こんなに差がついてしまったんだろう。特に自分のだめだったところが思い浮かばない。なんで、なんで、なんで。

きっと私には文才なんてなかったのでしょう。今まで担任の先生に気に入られていたから、なんとなく選ばれて、そのまま先生がアドバイスする通りに書いていたからコンクールで賞を取っていただけ。

まさに私は天狗だったと、そのとき改めて気づかされたのでした。

高校に入ってからも読書感想文を書く機会が設けられていましたが、私は本すら読まず、裏側に書いてあるあらすじをざっと読んで適当にそれっぽいことを書いて紙をうめていました。

本当にやる気がなかったのです。膨らんだ風船がしぼむように、あれだけムキになってた「読書感想文」のことなど、もう考えないようにしていたのです。

 

Saoriさんはこの「読書間奏文」のほかに「ふたご」という小説を書いています。初めての小説なのに直木賞にノミネートされ、成功しています。

三か月の間、たった原稿用紙五枚だけなのに成功できなかった私とは大違い。

いいなぁ、芸術的センスがある人はどこまでもあるんだなぁ、天才なんだなぁ。私はSaoriさんをただ羨みました。いいな、いいな。

けれどSaoriさんは自分のことを天才だなんて思うどころか、息苦しさを感じていました。

『この胸の中にある「大変」を、「楽しかったよね」という言葉に変換できるほど頑張ることが出来たら、この息苦しさから解放されるのだろうか』

そのフレーズを読んで、「私が読書感想文に対して息苦しさを感じていたのは、きっとSaoriさんのように「大変」を「楽しかったよね」に変換できたなかったからかも」と思いました。

「賞に入りたい」「認められたい」という気持ちは心身を削ります。「大変」を「楽しかった」に変換することができたら。きっと涙を流すこともなかったでしょう。

きっと私は文才などないのでしょう。けれど、こうして文章を書くのはやはり好きです。「賞に入りたい」「認められたい」この思いを気にせず、ただ純粋にこうしてブログを書くのは楽しいです。それはきっと「大変」が「楽しい」に変換されているから。

 

「大変」を「楽しい」に変換する。これはきっと生きやすくするためのヒントのように思えます。たとえどんなに辛くても「私って充実してるな」と思えることができたら。きっと息苦しさを感じることはないのでしょう。

 

「読書感想文」というとウッと胃液がこみあげてくる私。けれど、「あの時は本当に一生懸命書いた!楽しかったぁ」と思える日がいつかきてくれるといいな。

そんな風に思いました。

 

今回死ぬほど長くなりましたが、読んでくださった人ありがとうございました。