幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

子どもたちは夜と遊ぶ

こんにちは、タカハッピーです。

今日は本を読み終わりました。

それがこちら。

辻村深月先生の「子どもたちは夜と遊ぶ」です。
いやー、読むのに中々時間がかかりましたね。上下あるのと、就活&勉強で時間が取れなくなってきているため、1ヶ月近くかかってしまいました。
話はこんな感じです。(ネタバレなので無理な人はサヨナラです)
主人公の浅葱は容姿端麗、成績優秀で誰もが羨む王子様…
しかし彼には秘密があります。母から虐待を受けた過去、児童保護施設で虐められた日々。次第に人に触れることが怖くなり、生き別れた双子の兄「藍」に執着するようになる…
わたしは虐待を受けた過去はありませんが、あまり人間関係をうまく築いていくことができなかったので(今もですが)、読みながら浅葱の生きづらさに自分の姿を投影させてしまいました。
高校の頃。別に誰かに虐められたわけではありませんでしたが、友達は少なく、一部の人からはあまり好かれていませんでした。
「あいつはハッピーというあだ名をつけられて調子に乗ってる」
「当たり前のことを自慢げに話してる嫌な奴」
「あいつ無神経だよな」
人間、合う合わないがあるので、合わなくなってそう悪口を吹き込まれるのは仕方ないかな、なんて思っていました。だから気にしない気にしない…
とニコニコしてきたつもりですが、それと同時に「自分はどうしてこうも人間関係がうまく築けないのだろう」と奥底では悩んでいました。
「人間と触れ合うのが怖い」…高校の頃、浅葱が感じていた風にはなりませんでしたが、生きづらさは常々感じていました。
コミュニケーション能力は低いし、運動神経も悪い。頭もそんなに良くない。
「私の友達はどうして私と仲良くしてくれるんだろう。私はとっても嫌な奴なのに」
しだいにそんな風に感じるようになりました。
けれど、これは私に限った話ではないのではないか、と思うようになりました。
どんなに毎日楽しそうに笑顔で過ごしていても、悩みなんて何もなさそうな人でも、きっと苦しんでいることはあるじゃないかと思います。
虐待を受けたことも、虐められたこともない。そんな人でも自己嫌悪に陥り、悩むことはあると思います。

浅葱は「愛されたい」と思っていたけれど、「愛される」ことに怯えていました。愛している人から突き放されてしまうのが怖くて、拒絶を起こしていたのです。自分には生き別れた兄「藍」しかいない。友達も、所詮はうわべだけの関係で、本当に自分のことを愛してくれる人なんていない。そう思い込み、縛られることによって自我を保っていたのです。
「異常だ」「特殊な過去から引き起こされた闇だ」という意見もありそうですが、私はこのような思いはみな心の中に存在するんじゃないかと思います。
嫌われたくない、突き放されたくない。大切な人ほど失うのが怖い。
私は中学生の頃、一番信じていた人から裏切られたことがあります。この人は絶対私のことを好きでいてくれる。そう思っていたけれど、そうでなくなったことがあります。
「もう誰も信じたくない」
疑心暗鬼に陥りました。一番信じていた人でこうなのに、私のこと好きでいてくれる人なんていないんだ。きっと私なんかいる必要なんてない。
「誰かのため」に一生懸命になれる。これはとても大事なことだと思います。けれど、「大事な人から裏切られたくない」という思いは時に人をダメにするのだと思うのです。
人はみな、大切な人がいます。そして自分にとってその大切な人としか世界が作られていないのです。でも、きっと一度立ち止まって周りを見てみると、自分のことを思ってくれる人が必ずいる。助けてくれる人が必ずいる。
高校の時、生きづらくはあったけど友達はちゃんといました。困った時助けてくれる人が必ずいました。
私は幸せでした。優しくて気さくな友達がいて、本当にかけがえのない高校時代だったと思っています。
浅葱のように「自分にはこの人しかいない」と縛られて悩んでいる人はたくさんいると思います。「誰も自分のこと愛してくれてない」なんて決めつけている人もいると思います。
でもきっと、それは思い込んでるだけかもしれない。世界はもっと、開いている。
私はそう思うのです。
浅葱はそのことに気づけたら、もっともっと幸せな結末が待っていただろうな、と思いました。
皆さんも是非「子どもたちは夜と遊ぶ」を読んでみてください!
それでは、さようなら。