幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

最近のブログ

こんにちは、タカハッピーです。

ここ最近ブログを更新してなかったのですが…

ふと、こんなことを思ったのです。


最近の私のブログ、読書感想文&過去を回想している、のがほとんどではないか?と。


そうです。ブログを始めた初っ端の辺はこんなブログでした。


「今日こんなミスしちゃった〜ほんとドジ〜気をつけないと!テヘペロ☆」


それが今ではこうですよ。


「今日はこんな本を読んだ。ふと、私の過去を思い出した…(と、ここで闇に埋れた過去を語り出す)」


うーーーん。

どちらがいいとかは好みの問題かもしれませんが、確実に読書感想文に逃げている。そう思わざる得ない。

確かに最初、私はブログを書く上で「ハッピー」を意識して書いてました。読んでいて誰もが楽しくなれる素敵な文章。自虐ネタを盛り込んで「こんなことするなんてバカなだなー」と笑ってもらえるような。

こういう文は書いていて楽しいです。けれど一方で、ものすごい体力と精神力を使っていることに気がつきました。

私はブログをたくさん投稿したかと思うと、突然投稿を辞める、ということを繰り返しています。「公務員の勉強が忙しいから」など理由は様々ですが、中でも「書く気力がないから」という理由で投稿してなかった時もありました。

去年の夏休みごろですかね。時間はたっぷりあって暇人だったにも関わらず、投稿をしてませんでした。

あの頃は「誰もが楽しくなるブログ」ができるかどうかが不安でした。似たような記事を書いてマンネリ化してるのではないか。自虐ネタでしか自分を表現できてないと思われてるのではないか。「面白い」「楽しい」と本当に思ってもらえているのだろうか。

そんな一個人の駄文に誰もそんな気にしてなどいないでしょう。それは私もわかってます。誰も私のことそんなに気にしてない、自意識過剰だって。

お気づきかもしれませんが、私はめちゃくちゃメンヘラです。ハッピーというあだ名をつけられていながら、人からよく思われたいと思いすぎてしまうあまりに、「なんであの時あんなことしたんだろう」「あんなこと言ってしまったんだろう」とあとあと自己嫌悪に陥ることも多々あります。

ブログもそうでした。「文章を書くくせをつけたい」と始めたブログでしたが、「人からの評価がほしい」「もっと楽しいと思われる文章を書きたい」「誰もが好きと思ってもらえる文章でないとダメなんだ」と、人からよく思われたい文章を書く、ということに囚われ、書くことが嫌になっていったのです。

そんなある日。SEKAI NO OWARISaoriさんが書いた「読書間奏文」を読みました。そこで衝撃を受けたのです。

「こんな形で感想文が書けるんだ」と。

Saoriさんの文章は読んだ本に軽く触れながらも自分の体験談を盛り込んで書いていました。本の感想でもあり、エッセイでもあるのです。中には決して明るい内容ではないものもありました。しかし、読んでいてSaoriさんの息遣いが感じられ、ウキウキした気持ちになったのです。

これなら「楽しい」文章が書けるかも。そう思い、「読書間奏文」に倣って読んだ本の感想文を書いてみたのです。

「とてもいいね!ハッピーちゃんの思いが伝わってきていい文章だと思うよ」

私のブログの記事を推敲してくれるうさぎちゃんにもそう言われ、自信がつきました。

そうして読書感想文をたくさん書くようになったのです。

そもそも「読書感想文」は私の作文の原点です。前の記事にも書きましたが、「なんの取り柄もない」と思っていた中、担任の先生が私の読書感想文を褒めてコンクールに出してくれたことから、「ああ、わたしには作文を書く力があるんだ」と思えるようになりました。

初恋の思い出もありますしね笑(図書室で暮らしたい!の感想文の記事参照)

「面白い出来事」を探し、面白おかしく書くことも決して嫌いではないです。しかし、読書感想文を書いている方が圧倒的に気持ちが楽でその方が書きやすいのです。

まぁ逃げてると言われれば否定はできないのですが。笑笑

これからも私は本を読み、感想文を上げていくことでしょう。

こんなこと書いといていうのもアレですが、日常についてもあげていくので、応援よろしくお願いします!笑笑

それでは、さようなら。