幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

研修していた内定を辞退した話

こんにちは、タカハッピーです。

先日、研修していた内定先に、「今回内定を辞退させてください」と伝えてきました。

せっかくいただいた内定。

本当に断ってよかったんだろうか…とも何度も思いました。都会に立地しているし、車の運転もする必要はない。ただ、仕事をこなせばいいだけ…

でも、あの職場で働くのは無理だな…とも何度も思っていたのです。


そもそも私は地元山口のA市(イニシャルではなく当て字です)の公務員として働こうと思っていました。

ところが。まさかの一次試験で落ちたのです。

そこから巻き返して猛勉強し、よく遊びに行ったA市の隣のB市と、大学と祖父母の家がある広島県のC市を受けました。

しかし。B市は2次試験で落ち、C市は前にブログで書いた通り、最終で落ちました。

民間も諦めず受け続けました。

しかし、私の手元にはこんな手紙であふれました。

「今回採用を見送ることになりました。あなたの健闘をお祈りしてます」

お祈り、お祈り、お祈りの嵐。

大学、サークル、バイト。全て頑張ってきたつもりだった。成績も上位層だし、サークルでも部長を務めた。バイトも3年間続けてきた。なのに。何がいけなかったんだろう。何が、私の何が………

もう誰も私のことを必要にしてない。どうせ、このまま頑張ったって認めてもらえないし、お祈りされるばっかりで、無理なんだよ…

そんな思いが渦まき、朝起きると吐いてました。漠然とした不安が体中を占めていたのです。

そんな中、D病院の医療事務の募集が大学のキャリアセンターに届いていました。

「受けてみたら?」

キャリアセンターの職員の方にもそう言われ、ダメ元でその仕事を受けることにしたのです。

すると。なんと採用が決まったのです。

「合格です。これから修行として研修に来てください」

拍子抜けたのと、すごく嬉しかったです。誰からも必要とされず、もうこのまま就職浪人するのかと思っていたので、安心しました。この日を境に朝に吐くこともなくなりました。

「明日から来てもらうんだけど、これ、資料。目を通してきてね」

渡された資料は、病気についてまとめられてるものでした。

まぁ軽く目を通せばなんとかなるだろう。なんとかなる、なんとか…

そう軽く思っていたのです。

「この人の病気はナンチセイトウツウ。プリンペランも処方したからオウトショウも」

…?

「ヨウブセキチュウカンキョウサクショウ」

「ミギシュコンカンショウコウグン」

「リョウソクナイハンショウシ」

えっと…えっと…それって一体…?

病名をペラペラ言われ、それをカルテに書き込まないといけないのですが、何せ病気について学んだことなど一度もなく。

「今日は枕草子を読みましょう」

夏目漱石のこころのKについて」

「動詞のはたらきについてみてみよう」

大学ではこんな授業ばかりやっていたからわかるわけがなく。

「分からないなら自分でメモって調べないとダメじゃない。ちゃんと見て」

看護師さんにもそう怒られました。

まぁ当然っちゃ当然なんでしょうけどね。

また、私が担当していたのは整形外科なので、包帯グルグルの人の処置の記録も書かないといけないのですが

医者「カットバン持ってきて。あとシルキー1番で。添え木も」

ハッピー(1、創処置、カットバン、シルキー1番×1、添え木、と)

先輩「…!カットバンじゃなくてカバーメドS!添え木じゃなくてアルフェンス!シルキーは割あり?割なし?」

ハッピー「す、すみません、、、、わからないです」

先輩「何でちゃんと見てないの!」

そんな無茶な。

処置に使った道具をお医者様の発言と実際に使われたものから判断して、カルテに書き込まないといけないのですが、まぁこれもできず。

先輩「字が汚い!落ち着いて丁寧に書いて!」

先輩「これ前も教えたよね?なんでできないの?なんで?ねぇなんで?」

先輩「やる気あるの?ため息つくなら帰っていいよ」

先輩「できないなら最初から何もしないでいいよ」

怖い( ;∀;)

頑張ってきたつもりですが、なかなか仕事ができず、このまま私できるんだろうか…ここで働けるんだろうか…と思うようになるという。

そんな中、その職場に同期の子が1人いました。私より一ヶ月早く研修に入っていたのもありますが、仕事がよくできる子でした。

その子と帰りが一緒になり、道中で仕事について話す流れになりました。

同期「ね、ここで働いてみて、どう思った?」

ハッピー「…思ったより大変」

同期「ここでずっと働けそう?」

ハッピー「…わからん。なんとも言えない…」

同期「私は、無理だなぁって思ってる」

なんと。

同じようなことを同期も思っていたのです。

ハッピー「私いつもすごく怒られて…向いてないなって思うんだ」

同期「私も。まだ入ったばかりで慣れてないのもあるけど、ここでずっと働けるかって聞かれたら無理だと思う」

めちゃくちゃ意気投合。

2人でいつか辞めようねと合意し、別れました。

実は私は公務員になるという夢がまだ諦められていませんでした。縁もゆかりもない広島県のE市に、万が一広島のC市がダメだったとき用に受けておこうと申し込んでいました。

研修をしながらE市の対策をする日々。

おかしい…私はなんでこんなことをしてるんだ…ゔっ…頭が…

卒論そっちのけでずっと就活就活エンドレス就活。

教授「ハッピーさんは私が思ってた以上に根性がありますね!意外に根気強いですね!」

本当はメンヘラなのにゼミの教授にもそう褒められるという笑(いえーい)

そんなある日。

先輩1 「アルバイトの2人に言うのはあれなんだけど…実は私たち、ここ辞めるんだ。だから2人には頑張ってもらいたい」

先輩2「2人とも、私たちがいなくてもできるようになってね」

なんと。

先輩2人とも辞めるという…

同期&私(私たちも辞める気MAXオリックスって言いづらい〜!!)

なんとここにいる全員が辞める気満々だったという。

どういうことや!!笑笑

果たして私は辞めることできるのだろうか…そもそもE市に合格してないときに思うことじゃないけど…

そう考えていると、なんと!

縁もゆかりもないE市に合格。

思い入れのある地元や大学and祖父母のある市はダメで、なぜかE市は通るという不思議な現象。笑

(ヤッター病院辞めれるヤーン)

私は喜びに満ちました。やったー、辞めれるぅ!

…いや待てよ。辞める、辞めるってことは…

「辞めます」って言いに行かないといけないヤーン。

え、無理じゃない。絶対「どうして?これだけ教えてきたのに、なんで?」「研修しといて、なんで?」と質問責めにされるのでは…

友達や母、キャリアセンターの人と相談し、「1、ロッカーに荷物があり、どのみち取りに行かないといけないので、電話ではなく直接事務長に辞める旨を伝える」

「2、菓子折を用意して渡す」

「3、どんなに引き止められても押し通す」

で、いくことに。

震える気持ちで、百貨店で菓子折を用意し、いざ!事務長と対面!

と、思いきや。

職員「今事務長は緊急の用事で外出中です」

なんと。

事務長不在。

ハッピー「いつ戻りますか?」

職員「わからないですね」

ハッピー「…」

根気強く待つことに。

2、30分待機しました。すると…

事務長「ふぅ…」

事務長、現る。

ハッピー「事務長ー!あの、大事な話があるのですが、今いいですか?」

事務長「いいですよ」

捕まえることに成功!

さぁ!辞めると!!伝えるぞ!!

ハッピー「あの。すみません。内定を辞退しようと思っていて」

事務長「そうですか。なぜ?」

ハッピー「働いてみて向いてないし、合ってないなと思って」

事務長「それは仕方ないですね。あなたの意思を尊重します。あなたはまだ若いからどうにでもなる。何か困ったことがあったらまた連絡してね」

なんと。

めちゃくちゃアッサリ辞めれました。

菓子折を渡し、帰宅することに。

(こんなに簡単に辞めれてよかった…めちゃくちゃ引き止められるかと思った…)

そう市電に乗ってそうぼーっと考えていました。

(辞めれてよかっ…ああ!ロッカーの荷物とってくるの忘れたやん!)

ロッカーの荷物取りに行くために直接行ったのに、持って帰るのを忘れるミス。

市電を降りて急いでD病院に戻りました。

ハッピー「よし…とりあえず荷物は全部とった…これでなんとかなるだろう」

安心して、そのまま帰宅。

市電に乗って「こんなにアッサリ辞めちゃって…」と物思いふけり、スマホをいじろうとしました。

していたのです。

ハッピー(あれ、スマホスマホがない!)

タカハッピー、スマホをなくす。

今日一日、辞めることで頭がいっぱいだったからか知らないけど失敗度重なりすぎだろ!!この!!ポンコツが!!

しかし、このスマホをなくすということ。実はタカハッピーあるあるなのです。

ハッピー(またかぁ…たぶん病院のロッカーの物取ってるときに棚に置いたな…取りに行こう…)

また市電を降りて病院に戻りました。

〜タカハッピーあるある〜同じ場所を何往復もする

案の定、病院にありました。よかった…よかった?

まぁあったのだからいいことでしょう。こんなにドジ踏んでばかりなのに社会人になれるか不明なところではありますが…


とまぁ先日はそんな1日でした。

こんなにアッサリ辞めれるとは本当に思ってなかったです。まぁ何往復もしてしまう形にはなりましたが…

辞めてしまって言うのはあれですが病院には感謝してます。こんな私を受け入れてくれて、働かせてくれました。社会の厳しさもよく分かりました。これからもその経験を踏まえて頑張ろうと思います。


そして皆さん、良いお年をお迎えください。

それでは、さようなら。