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ツナグ 想い人の心得

こんにちは、タカハッピーです。

今日はこの本を読み終わりました。

ツナグ 想い人の心得

ツナグ 想い人の心得

  • 作者:辻村 深月
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: 単行本
前回のツナグの続編、「ツナグ 想い人の心得」です。

感想としては、まぁとにかく胸熱ですね。
前回と繋がっている話あり、違った視点の話ありでもう読んでいてワクワクしましたね。

特に1番心に残ったのは、奈緒さんのお話です。
「私、この工房の跡を継ぎたい!」
大将である父親に何度もそう懇願する奈緒。大好きなものづくりに携わりたい。もっといいものを作っていきたい。
しかし、父親の答えは「NO」でした。
「才能っていうのは残酷なもんで、あるところには必要なくたってあるのに、必要でもないところにはない」
うーん。なんというか…
胸に…刺さる…
私は大学時代、演劇をやっていました。もともと、演劇にはとても興味を持っていました。音読をすると「読むのがとても上手だね」と褒められることも多く、「いつか演劇をやってみたい」と漠然と思っていました。
中学も高校も演劇部がなかったので文化祭で軽く劇をしたくらいにしか経験はありませんでした。しかし、大学で「英語劇」をやっている部活があると教授から聞いて、「面白そう!」と突撃入部したのです。
英語劇なので、もちろんただの演劇ではなく、英語を使う演劇です。しかし実は英語も、とても大好きな教科でした。
中学の時に英語は得意教科でした。特別英語を習ったりはしていませんでしたが、教科書を暗記し、授業を真面目に聞いていたので成績はいつも上位層で、一度学年でただ1人100点を取り、先生に悔しがられたこともあります(突然の自慢)
英語が得意だから、世界を舞台に仕事をするのもありだなぁ。それか、英語をたくさん使う仕事も興味があるなぁ。
そんなことを思っていました。
しかし、高校に入ると英語のレベルが格段に上がり、全然ついていけなくなりました。英検二級はとれたものの、点数はギリギリでした。勉強は必死にしてましたが、全く勉強してなかった数学とあまり差はないという。
中学の時、得意科目は「英語と理科と社会!だって暗記だから!」という感じでしたが、高校になるともうただ覚えればいい時代は終わり、柔軟に考える力も必要になって、得意科目はなく、どれも平等にできない感じになりました。笑
それでも、英語を勉強したいという夢は諦めきれませんでした。もっと、英語を勉強して、グローバルな人間になりたい。そんな風に思い、大学も国際的なことが勉強できる学科に進学しました。
その私にとって、「英語劇」はやりたいことと、自分の力をさらに磨くことのできるチャンスの両方を含んでいるように思えました。演劇ができる上にセリフが全部英語なんて最高。英語圏の文化も学べる。よし、頑張るぞ!!
…と思っていたのです。
最初、先輩は私の英語の発音をとても褒めてくれました。「え、ハッピー発音綺麗だね」
そして、「すごい声が通るね。聞き取りやすい」と、声も褒めてくれました。
褒められて調子に乗った私はセリフを一生懸命覚えました。そして身振り手振り、表情、全てを意識して演劇に没頭していました。
朝7時に家を出て、一日中練習。23時に家に着いて寝る。
…正直今思えば結構なブラックサークルでしたが(笑)それでも、先輩方は優しく、サークルはとても居心地がよく、私の大学生活をかたどっていったのです。
そんな中、後輩が入部してきました。後輩には新入生用に演劇をしてもらいます。演目はロアルド・ダールの「シンデレラ」と「白雪姫」。
私が一年生の時に「シンデレラ」のシンデレラ役をやりました。後輩の子も、シンデレラ役をやることになり、私が指導することになりました。
よし!ビシッとやるぞ!と思っていました。
思っていたのです。
後輩の子が演劇をした瞬間、声を失いました。
…全然レベルが違う。
レベルが違う、というのはダメダメということではなく、逆。ものすごくクオリティが高かったのです。
その後輩は演劇経験者だったそうですが、それでもとても身振り手振り、表情が完成されていて、ビックリしたのです。
…私なんて、ただ単調な表現しかできなかったのに。
指導することは何もないな。とその時に悟りました。
それに。演劇ではいつもアンケートをとってましたが、身内が私の演技を褒めることはあっても、観客の方から「この役がよかった!」と言われることはありませんでした。
声がよく通るのは事実だし、一日中ずっと稽古していたから、表情や身振り手振りもそれなりに作られる。
でも。演技のレベルはそんなに高い方ではない。
そういうことに気づかされたのです。
英語もそうでした。最初は英語圏の国の留学も考えていました。しかし、自分は英語に向いてないということに今更ながらに気がついたのです。
大学一年の時、ほとんど英語や英語圏の文学、文化の授業をとっていました。しかし、単位稼ぎのためにとった日本近現代文学の授業の方が圧倒的に面白かったのです。
英語を学ぶことが自分の中で苦痛になっており、日本語の本をたくさん読んで研究することの方が興味を持っているということがわかったのです。
大学2年からは英語から日本語のコースに変え、日本文学、言語学、文化を学んでいきました。とても充実していたし、「次あの授業やだな…」と思うこともなくなりました。
演劇の才能も、英語の才能も、どちらも大してなかったのです。両方とも好きで始めたはずなのに、特に英語は自分の中で苦手意識が芽生え始めました。

「才能っていうのは残酷なもんで、あるところには必要なくたってあるのに、必要でも、ないところにはない」

確かにそうだなぁと思います。

才能というのは確かにあると思います。後輩の子の方が私より演技がうまかったように。英語を勉強してもしても全然伸びず苦痛になったように。
努力じゃ補えないこともあるんじゃないかなと思います。
でも、この本の奈緒は諦めませんでした。
「私には確かにセンスが足りないかもしれない。才能がないと言われたも同然だけど、父の作品はやっぱりすごい。(中略)今は無理だけど、私は父に追いつきたい」
父の工房を継ぐために、ドイツ留学まで決意するのです。
すごい精神力です。才能がないと言われ、自分でも思っていながら夢を追い続ける。
諦めた私には到底できない。
主人公の歩美も「完敗だ」と思うのです。奈緒は本当に強い。誰にも縋らず、自力で道を切り拓いていく。
確かに才能というのはあるけれど、それだけじゃなくて、根気も関係するんだろうな。
そんなふうに思いました。
私も今はもう引退してるけれど、また機会があったら、英語劇をやって、英語、演技を磨いていきたいですね。
それでは、さようなら。