こんにちは、タカハッピーです。
今日、こんな興味深い記事を発見しました。
それがこちら。
ウチの娘②が可愛いという話です(真顔)
— きなこ (@3h4m1) 2020年1月7日
身体に傷痕があるという事、それでも美しいという事、そんな話。|きなこ @3h4m1 #note https://t.co/W9Jg6klh6M
ブロガー、きなこさんの記事です。
心臓が奇形のために何度も手術を重ねる娘②ちゃん。生まれたとき、こんなにも可愛いとデレデレしてきたきなこさんですが、娘②ちゃんが心臓の手術をするたびに痕が胸に残っていくことが気になっていきます。
そう、綺麗な胸にズタズタと痕が残っていくのです。
どんなに綺麗に縫ったとしても、消えて無くなるものではない。
きなこさんは「どうやったら消えるのだろう」と必死で考えるようになります。
読みながら、ふと、私の手術痕について思い返しました。
私は股に手術痕があります。小学1年生の時に小児そけいヘルニアになり、手術したのです。
広島で手術したのですが、本来はお腹を切る手術のところを、「痕が目立ってはいけないから」と股を切る手術にしてくれたのです。
手術が終わった時、股にギザギザと痕が残ってるのをみて、私はなぜか誇らしい気分になってました。普通の人にはない、私だけの痕。いろんな人に見せたいなぁ。手術がんばった痕だ…と思っていました。
思っていたのですが…
母はこう言いました。
「よかったねぇ、股に手術できて。山口だとお腹切る手術しかないだろうから、本当によかった。これで夏に水着も着れるね。目立たないから、本当によかった…」
これを繰り返し、何度も何度も言ってました。
よかった、よかった、目立たないからよかった。
…よかった?
子供にとって、親の言うことは絶対。なんだか、誇らしかったはずの手術痕は絶対に見られるべきでない、良くないものなのだと思うようになったのです。
プールの授業前後で着替える時、手術痕をタオルで隠し、何が何でも見られないように細心の注意を払っていました。温泉に入る時も、手で手術痕をしきりに隠し、絶対に誰にも見られないように工夫していました。
絶対誰にも見られてはいけない、手術痕は恥ずべきものなのだ、良くないものなのだ、と思うようになったのです。
きなこさんも、私の母と同じでした。娘の体に傷痕が残っていくのがとても嫌だったのです。
けれど、考え方が変わっていきます。
無事成人した元心臓疾患児の人たちは、きなこさんにこうコメントしたのです。
『傷痕は、これを持っていて初めて私が完成するので、このままでいい』
『傷痕を憐れまないでほしい、だってこれが私なのだから。』
最初はそのコメントを見ても、微塵もそう感じていなかったきなこさん。
でも、娘②ちゃんはずっと可愛いままだし、手術痕などあっても関係ないと思うようになるのです。それどころか、傷痕に僅かな愛しさまで感じるようになるのです。
「綺麗というのは、傷痕がない事ではない。美しいというのは欠損がない事ではない。(中略)娘②の傍らにいるだけでも、娘②の預かり先、病院、その他関係各所で、体に手術や処置の傷のある子、体に生存の為の器具を付けるための孔を人工的に拵えた子、生まれつき四肢のどこかが無い子、体に硬直のある子、色々な子と出会う事が出来る。その子供たちの、その表情とその身体はそれぞれに皆美しくて愛しいと私は思う。」
そう語るきなこさん。
ああ、なるほど。私の手術痕も含めて、やはり頑張ってきた証なのか。私が美しいかは置いといて、やはり無理に隠したり恥じるものではないんだな。
そう思いました。
私の母が私に「手術痕が目立たなくてよかったね」と言ったことが悪いことであるとは思いません。傷痕に理解がない人からからかわれる可能性もあります。
でも、傷痕があるから醜いのではないし、むしろ、それを含めて美しいんだ。
そう思いました。
あの頃の私は手術痕を誰にも見られたくないと、どうしても裸にならざるえない時に嫌な思いをしていましたが、その痕は決して悪いものじゃないんだよ、と伝えたいですね。
それでは、さようなら。