幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

きみの存在を意識する

こんにちは、タカハッピーです。

先日、本を読み終わりました。

それがこちら。

きみの存在を意識する (teens’best selection)

きみの存在を意識する (teens’best selection)

梨屋アリエさんの「きみの存在を意識する」です。友達のワカリンがオススメしてくれたのを読みました。
突然ですが、皆さんは生きづらさを感じたことはありますか。
私は多々あります。まぁ感じたことない人なんていないと思いますが。
「ハッピーちゃん、いつもボーッとしてるね」
これはよく言われる言葉です。ボーッとしてる。授業中だろうと友達とお喋りしていようと、途中で意識が飛ぶのです。
私は人の話を聞くのが極端に苦手です。国語の聞き取りテストで0点を何度か取っています。授業でも先生の話も、学生の話も耳に入ってこず、気がついたら自分の世界に入ってしまいます。例えば、理科の授業で地質調査の「ボーリング」という言葉が出たら、頭の中では地質調査ではなく、人が重たいボールを投げている動画が流れます。そのまま、私運動神経悪いからガーターになるなぁ、子供会では最低記録とったなぁとかどうでもいいことばかりが頭の中で占め、大事な先生の話は耳の中に入ってこないのです。
学生のうちはまだいいです。授業中ボーッとしていても本を読んで勉強さえすれば点が取れます。しかし、社会人になったらそうはいかないだろうなと思います。
「その話、前もしたよね?なんで聞いてないの?やる気ある?」
「さっき言ったことがなんでできてないの?できないなら帰れば?」
これは内定先の研修をしていたときに言われた言葉です。
やる気がないわけではないのですが、言われた言葉を頭の中に入れることができないので、仕事が全然できないのです。
「ボーッとする」のを辞めたい。どうやったら辞められるんだろう。これは小学生の頃から常々悩んでいました。
また、私はちょくちょく「無神経」ということも言われていました。思ったことを口にする。これまで友達だった人も、なんでもかんでも口にする性格のせいで嫌われてしまう。気をつけてはいるものの、気がついたら口にしてしまってることもある。
普通の人は人の話がちゃんと聞ける。考えてから発言する。でも、私はできない。極端にできない。どうしてなんだろう。両親の育て方が悪かったのかな。でも妹たちはまともだ。私みたいに異端ではない。
悩んでいました。どうしてなんだろう。どうして私は普通と違うんだろう…
そんなある日。Twitterを見ていたらふと、気になる記事が目に飛び込んできたのです。
ADHD 注意欠如多動症
そこにはそう書かれていました。
ADHD…それは発達障害というものでした。
・忘れ物が多い
・時間を守ることができない
・人の話を聞くのが苦手
・思ったことを口にする
・よくボーッとする
・行動力がある
・貧乏ゆすりをする
これらに当てはまる人はADHDなんだそう。
びっくりしました。その特徴は全て私の性格です。
何度チェックしても必ずなにかを忘れてしまう。学生生活は遅刻魔として名高かった。大学入学後部活を作ったり一人でユニバに行ける行動力。貧乏ゆすりもする。
そしてボーッとすること、思ったことを口にすることも。
…私が生きづらかったのは、ADHDだからなのかもしれない!
そう思うとホッとしました。私が怠けてるからじゃない、育ち方が悪いのではない、「ADHD」という発達障害のせいなのかもしれない!
それからは、TwitterADHDの情報が流れてきたら積極的にリツイートやいいねをし、自分の中に取り込んでいきました。もっと生きやすくするためのヒントかもしれない!と思っていたのと、たくさんの人に発信して、生きづらさを感じてる人が生きやすくなってほしいと思っていたのです。
しかし。ある日、知り合いがTwitterでこんなことを呟いていたのです。
「最近、タイムラインがADHDで埋まる。なんで?笑 ADHDの人に配慮しなきゃってあるけど、当たり前のことができないのにそんなの自己中じゃない?」
背中に冷たいものが落ちました。
当たり前のことができないのにそんなの自己中じゃない?
確かにその通りではあります。「できない」ことに合わせることで「できる」人はいい迷惑でしょう。
でも、この世の人がみんな少しでも生きづらさを感じなくなれば、より良くなると私は思うのです。
できない人に合わせて、共感する。
これが1番大事だと思うのです。
「そっか、人の話を聞くのが苦手なのか」
「無神経なんじゃなくて、そういう発言をしてしまうのか」
そうして受け止める。
このことは「甘え」だと捉えられがちです。ADHD側は何もせず私たちが変わらないといけないということ?そんなのおかしくない?…と、こんな感じでしょうか。
しかし、足がない人が車椅子で動くときに段差などがあると「生きづらい」でしょう。
「車椅子だから段差は動きにくいのか」と受け止める。
これと似ていることだと思うのです。
完全にその人に合わせるのではなく、「共感」や「理解」が大切だと思うのです。
この人はこのような性格の人間なのか。
この人はこういうことが苦手なのか。
そう受け止めていく。そうすることができると、発達障害の人やディスレクシアの人も生きやすくなると思うのです。
本作では、本を読むのが苦手な子、文字を書くのが苦手な子、化学物質に敏感な子が登場します。それぞれが生きづらく、もがいています。
積極的に配慮を求める子もいれば、「そんなのは自己中だから」と何もせず、そのままにしている子もいました。
でも、どちらも辛いと思うのです。悪いことをしたわけじゃないのに、配慮を求めることも、何もせず自分の遅れをそのままにしておくことも、苦しいことだと思います。
できない人、苦手なことがある人、そういう人たちを理解し、共感することで、皆が生きやすい世の中になると思うのです。
少しでも多くの人が生きやすくなるといいな。そう思います。
皆さんもぜひ、「きみの存在を意識する」を読んでください!
それでは、さようなら。