幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

かがみの孤城

わははは、と声が聞こえる。給食を食べ終え、やっときた昼休み。

あのさ、昨日のテレビの○○がさぁ…

ねね、○○がこんなことしてた!まじやばい!

5時間目数学だよなーだっる

さまざまな喋り声が耳に入ってこないようにわたしは参考書を開いた。

593年 聖徳太子摂政になる

1582年 本能寺の変

1853年 ペリー来航

日本史は得意科目だった。何も考えず、年号を頭の中にたたき込んでいくのが快感だった。もっともっと勉強して、すごくいい進学校に行って、すごくいい大学に行って、それから…

「おいみろよ。アイツ、また勉強してるぜ」

「きっもー。どんだけガリ勉なんだよ、まじむり」

男子が私を指差し、笑う、笑う、笑う。

シャーペンを強く握り、ノートにガリガリと問題の答えを書いた。

勉強している時が一番楽しかった。どんなに人から気持ち悪がられ、煙たがれても、わたしには勉強があった。勉強は決して私を裏切ったりしないし、どんな時もそばにいてくれる。

「ほんと、あいつ不登校になればいいのにな」

「わかるー。いてもいなくてもどっちでもいいし、むしろ気持ち悪いから来なかったらいいのに」

ホント、アイツ フトウコウ ニ ナレバ イイノニ。

キモチワルイ カラ コナカッタラ イイノニ。

勉強していると、言葉が自然と無機質なものに感じた。

…わかる。

私、本当に不登校になればいいのにね。こんなところ、来たって楽しくないし、みんなに嫌われて笑われるだけだし、勉強することだけしか能がないから、不登校になってしまえば、全て楽になる。みんなもそうなれば喜ぶし、ウィンウィンじゃん。

ま、そんなことする勇気なんてないんだけどね。

…中学生のわたしは至って冷静だった。


突然わたしだけ仲間外れにされた。

中学2年生の時、心の底から信じていた人に裏切られた。

どこにも居場所なんてなかった。もう疲れた。勉強しよう。勉強すれば楽になる。

狂ったように勉強すると、嫌なことはシャットアウトされるし、自然と冷静になれた。

嫌われることも、仲間外れにされることも、裏切られたこともどうだっていいことに感じた。

でも、気がつけば私は 

ひとりだった。


居場所が欲しい。

きっとわたしは潜在的にそう思っていたと思う。

かがみの孤城」には、生き辛さを感じている中学生がたくさん登場する。

皆「学校に行かない」という選択肢をとり、鏡を通り抜けて城に行く。城で皆は同じ時を過ごし、仲良くなっていく。

ただ仲良しこよしなのではない。時には怒鳴り、涙し、分裂しながらも最終的には団結し、それぞれが成長して、前向きになっていく。

そんな話だ。

私にもかがみの城があれば。ただひたすら勉強していた中学生でなかったかもしれない。もっと明るくいろんな人と接して話していたかもしれない。

…そうわたしは書いたところで、ふと、気づいた。

たしかに学校には居場所はなかった。

でも、わたしにとっての「かがみの城」はあった。たしかにあった。人と接するのが苦手で勉強ばかりしていたわたしにとっての唯一の居場所。

それは、小学生の頃からお世話になっている「自然の家」だった。


「ハッピー、おはよ!今日から四日間よろしくね!」

ニコニコと大学生のお姉さんに挨拶され、私は「はい」と無愛想に返した。

私は小学生の頃、自然の家の子供向けキャンプにたくさん参加した。対象は小学生なので中学生となった今は参加資格がない。なので、今度はボランティアスタッフとして参加している。

偉いね〜とよく言われるが、偉くもなんともない。ただ純粋にこの自然の家とキャンプが好きなだけで、別に慈悲深い気持ちで参加しているわけではない。

「ハッピー、一緒に車に乗ろ!」

「…うん。いいよ」

ここではみんな、わたしのことを邪険に扱わない。

挨拶してくれるし、隣にいてくれる。

このことが、その時はよくわかっていなかったけど、とてつもなく嬉しかった。

「居場所」がなくても勉強しとけばいいだなんて思っていたけれど、本当はずっと、居場所が欲しかった。

それは、このキャンプが終わってから気付くことになる。


小学生たちがやってくる前に、皆で軽く研修をする。

然の家の職員さんが「今回のキャンプ、MDはもう決めてあります!」といった。

MD。マネージメントディレクターの略。

要するにキャンプを回す中でかなり重要な役の人だ。

まぁ、大学生の人か高校生の人だろうし、自分とは全く関係がないや。

そう思ってあぐらをかくと、職員さんはこう告げた。

「今回、MDはタカハッピーにやってもらおうと思う」

「…エエッ?!?!」

その年最大の「エエッ」が出たように思う。

大学生、高校生がいる中、中学生の私がなぜ???

「でもさっき、『やりたくない役割ありますか?』って聞いたら『ないです』って答えてたよね」

「そうだけど…まぁそういったけど…エエッ、わたしにできるかな…」

「できるできる!頑張れ!」

ハハハと職員さんが笑う中、わたしはただ呆然とした。


MDは想像以上に大変だった。

高校生はもちろん、大学生に向かって指導していく。中には年下もいたけれど。…いやでもそういう問題ではないかもしれない。私の判断でキャンプを支える裏方を動かすのだから、少しでも変な指示をしたら大変だ。

「なんでできないの?ちゃんとこう言ったよね。できないならやらなくていいよ」

指示をしたつもりなのにちゃんと動いてくれなかった後輩に苛立ち、キツいことも言った。

「ゔっ…ゔっ」

後輩は泣いた。

「ハッピー、ちょっと今のは言い過ぎ。例えキャンプの運営が滞っても私たちがなんとかするからさ」

大学生のお姉さんにそう諭された。

わたしは本当にダメなMDだった。


不登校になればいいのに」

言葉が私に突き刺さる。

「気持ち悪い」

「いてもいなくても同じ」

「生理的に無理」

「いるだけで迷惑」

キャンプ中、誰にもそんなことは言われてない。言われてないのに言葉が、雨のように降り注いでいく。

「私がMDでなければ後輩は泣くことはなかった」

「私がMDでなければこんなにキャンプの運営が滞ることはなかった」

「みんなに迷惑をかけることもなかった」

「最初からキャンプなんかに参加しなければ」

思いが私を蝕んでいった。


四日目。キャンプが終了した。私は「本当に私がMDでよかったんだろうか」とぐるぐると考えていた。

キャンプが終了したとともに、ボランティアスタッフの人がたくさん私の周りに集まった。

なんだろう。皆、こんなに集まって…

そうすると、一人がこう言葉を発した。

「ありがとう」

耳を疑った。

「ありがとう。ハッピーがMDでよかった」

「頑張ってくれてありがとう。本当に楽しいキャンプだった」

「大変だったのに、お疲れ様!また会おうね」

目がみるみるうちに潤み、顔が熱くなった。


自分の存在が、久しぶりに認められた。

ずっと勉強することしかできないと思っていた。居場所がなくてもいいやと思っていた。嫌われても、仲間外れにされても、裏切られても、もうそんなもんだからいいやと思っていた。

…本当は、ずっとずっと自分のことを肯定する言葉を言ってくれる人がそばにいてほしかったんだ。

何も感じてなかったつもりだけど、信じていた人たちからされた仕打ちがとてもとても辛くて苦しかったんだ。

冷めきっていた心に温かな血がかよい、わたしは声を上げて泣いた。

わたしにとって、自然の家は「かがみの孤城」だったのだ。


生きづらさを感じている人、感じたことのある人、全ての人に読んでほしい。

かがみの孤城」はそんな本です。

「タイムマシンがあればわたしはかがみの孤城を送る」と作者の辻村深月さんは言っています。

タイムマシンはこの世にないけれど、この本は中学生だった頃の私には届いてると思います。

辛くて辛くて、学校に行きたくないと思っていたあの頃。

わたしの部屋のかがみは城にはつながらなかったけど、ちゃんとわたしにとっての「城」はあった。その温かさに改めて気づけました。

ぜひ、「かがみの孤城」を読んでみてください。

かがみの孤城

かがみの孤城

こういう本です。

それでは、さようなら。