幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

東京會舘とわたし

こんにちは、タカハッピーです。

今日はこんな本を読み終わりました。

それがこちら。

東京會舘とわたし 上 旧館 (文春文庫)

東京會舘とわたし 上 旧館 (文春文庫)

東京會舘とわたし 下 新館 (文春文庫)

東京會舘とわたし 下 新館 (文春文庫)

辻村深月さんの「東京會舘とわたし」です。
大学時代あんなに本を読んでいたのに、最近全然本が読めてない…読みたい読みたい…と図書館に行って借りました。
同期「何借りたん?」
ハッピー「東京會舘とわたしっていう本。この本はまだ読んだことなかったし、読んでみたくて」
同期「ほんま辻村深月さん好きやねー。あらすじはどんなんなの?」
ハッピー「うーん、一言で言うと、東京會舘という建物とそこで働く人や利用する人の物語かな」
同期「へー。で、その人たちが東京會舘に閉じ込められるんやろ?」
ハッピー「…!」
んなわけねーだろ!笑
ハッピー「違う!普通に大正から戦争、東日本大震災を乗り越えた東京會舘の話だよ!」
同期「ふーん。で、たくさんの人たちが東京會舘に閉じ込められる話なんやろ?w」
ハッピー「なぜそうなる!!」
いやなにをそんなに人を閉じ込めたくなるんだ同期よ…
同期「前に貸してくれた『かがみの孤城』とか辻村深月さんデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』は人が建物の中に閉じ込められるやん。辻村深月さん人を建物に閉じ込めがちじゃないの」
おい!!!なんだその偏見は!!!
異世界的な建物に行くのはその2作品ぐらいだから!!他はそうでもないからな!!
あと「かがみの孤城」は城に行くけど閉じ込められるわけじゃないからな!自由に行き来できるからな!
…と思いつつも同期がその2作品を読んだことのあるという事実は嬉しいわけで。(『かがみの孤城』をゴリ押ししすぎて引かれてしまうタカハッピー)
ありがとう同期。これからも辻村深月さんの本をたくさん読んでくれ。
…とまぁこんなアホな会話をしてしまったわけですが。笑
東京會舘という建物は私にとってそんなに馴染みのあるものではありません。辻村深月さんのエッセイで初めて「東京會舘芥川賞直木賞が受賞されるんだ」と知るほど。
そんな馴染みのない建物の話なのに、気がつけばまるで自分が東京會舘と深く関わっているのではないかという錯覚を起こしてしまいました。
前にもブログで書きましたが、私は文章で食べていけるようになりたいという夢があります。できれば小説家になって、憧れの辻村深月さんと同じ出版社から本を出してみたいなぁ…なんて淡い期待を抱いています。
小説家という夢は小学生の頃から抱いていました。昔から人と外で遊ぶより一人で本を読んでる方が性に合っていたし、中学生の頃なんて昼休みは誰とも話さず勉強してるか本を読んでるかのどちらかでした。読むのは遅いし、高度なことが書いてある本や古典は苦手だけれど、本を読むのは本当に好きでした。読書をすると、作家さんがまるで私のために書いてくれたのではないかと感動し、悦に入ていたのです。魔女っ子にはまっていた小学生の私は「黒魔女さんが通る!!」を読んで魔女の世界を夢見ていたし、厭世的なことばかり考えていた中学生の私は「この世の中潰れればいいのに」と10代特有の人間関係の辛さを書いてる森絵都さんの本に何度も救われました。フィクションの世界に強く憧れ、自分もその世界の中に入れたらどんなに良いだろうと願っていました。
でも、正直にいうとちゃんと小説を書いて完成させたのは2回しかありません。
1回目は小学6年生の時。
2回目は大学2年生の時。
それまで思いついたことがあればチョロチョロとノートに書き込むことはありました。でもどれも途中でしんどくなって放棄していたのです。
「小学生のうちにデビューして、売れっ子小説家になりたいなぁ」
こんなアホなことを小学生の私は言ってましたが、行動が伴ってない。
特に中学生になってからは、前にも書きましたが読書感想文が思うように報われず「自分は文才なんてないのかもしれない」と思うようになり、作文そのものが苦痛になっていた時期もあります。なので高校では全く作文をしていませんでした。
大学生になった時は、友達のうさぎちゃんに「ハッピーちゃんの書く文章好きだよ。小説書いてみなよ」と言われ、「よし!書いてみせるぞ!」と完成させた小説も、今読み返すとタダのゴミです。比喩とかではなく、本当にタダの、ゴミ。
フィクションの世界に憧れ「小説家になりたい」と思っているのに行動と能力が全く追いついてないのです。しかも24歳でデビューした辻村深月さんの年齢にもう少しで追いつきそうになっています。
焦りがジリジリと身を焼いていき、「今のままではダメだ」という考えが脳を占めていきます。自分には作文しか取り柄がない、読書が好きだ、ならもう作家になるしかないじゃないか、でもそんなの夢物語でしかない…と空回りしていくのです。
東京會舘とわたし」の最初の章「クライスラーの演奏会」の主人公、寺井承平もそうでした。
文学が好きで、音楽が好きで、小説家になることを夢見ているのに、親に「馬鹿なことは言うな」と東京から金沢の実家に連れ戻されてしまうのです。
芥川龍之介のデビューした年を超えてしまう、ちゃんと作品を作らなければ、作りたい、作らないと…
周りに自分と同じように小説家を目指している学生を見つけると「ああ、共に頑張ろう」ではなく「焦り」しかわかないのです。
その気持ちはすごくよくわかります。
私も社会人になって中々本を読む機会も文章を綴る機会もなくなりつつあります。このまま終わってしまうんじゃないか…と思うのです。
実家でなすこともなく焦る寺井。まるで私のようでした。
しかしそんな寺井にある転機が訪れます。
寺井は知り合いの編集者のツテでバイオリニストのクライスラーの演奏会のために上京。演奏を聞いた後なんとなく東京會舘へ向かう地下通路を通るとクライスラーとすれ違うのです。
音楽が大好きな、憧れのクライスラーが目の前に。
寺井はその瞬間が忘れられないものになります。
そしてその後、花開いて作家になるのです。
東京會舘は、とても歴史のある建物です。寺井のような小説家を目指す若者、東京會舘で働くボーイ、戦争の中挙式を挙げるもの、GHQに占領された東京會舘バーテンダー東日本大震災で帰宅難民となった人たちなど、たくさんの人がそれぞれの時代を生き、東京會舘と関わり、物語を紡いでいくのです。
小説家になりたくても能力が追いつかない私も、まるでその東京會舘がそばにいるような気持ちになりました。
それは「東京會舘」が「芥川賞直木賞」の受賞の場、「憧れの地」であることだけが理由ではなく、東京會舘に生きる人それぞれが「まるで自分のようだ」「私もそのうちの一人なんだ」と共感したからだと思います。
私は東京會舘に一度も行ったことはありません。でも、読み終わった今では何度か訪れた事のあるような気がします。
東京會舘とわたし」
題名のまんまです。
最近全然作文できてないけれど、もうちょっと頑張って書いてみようかな。まだ夢も諦めたくない。
そんな思いも湧き出ました。
東京會舘とわたし」ぜひ読んでみてください。
それでは、さようなら。