幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

クローバーナイト

家族ってなんだろう。

大切でもあるし、鬱陶しくもあるような気がする。自分のことを応援してくれると思いきや、やることなすこと反対されたり。

今回読んだ本を読んで特にそう思った。


クローバーナイト (光文社文庫)

クローバーナイト (光文社文庫)

「クローバーナイト」は主人公の裕と妻の志保、莉枝未と琉大の2人の子供を取り巻く家族ストーリーだ。
不倫をしてるのではないかと噂される母、保育園に子供をいれるために奮闘し疲れ果てる母、小学校受験をさせるためにこれでもかと教育を施す母、壮大な誕生日会に疲れる母…
そして孫の発達を心配する祖母とそれにイライラしてしまう母。
書いてみて気づいたが、主人公は父親の裕なのに、それぞれの話の当事者は母だ。最近はイクメンと騒がれてるけど、やはり育児の中心は父親ではなく母親なのかもしれない。
様々な話の中で志保が子供を保育園に入れる際、姑と対立してしてしまった、というシーンがある。「小さい子供を保育園に入れるだなんて可哀想」と冷たく言われてしまうのである。
それはなんだかわかる気がする。
私の母は結婚と同時に仕事をやめて、専業主婦として家事育児をやってきた。母の中では「母親のもとで子供を大事に育てたい」という思いもあったのだろう。たぶん。
だから「子供は絶対地元の公立幼稚園に入れる」という謎ルールを掲げていた。
「小さい時はお母さんと一緒にいさせたい」
「仕事をすることによって子供を保育園に預けるなんて可哀想」
と思っていたらしい。
私たち三姉妹は全員地元の某公立幼稚園に入れられた。そこでの日々は普通に楽しかったし、普通に満足している。
それから地元の公立小学校、中学校、高校、大学と進学していった。幼稚園から大学まで地元の公立だなんて今考えると少し笑える。華々しい学歴とは程遠いし、この教育方針は間違っていたのかはよくわからない。でも、この人生に今のところそんなに後悔してない。死ぬほど辛かった中学生活も、あれによって今の人格が形成されてる感があるのでまぁいっかという感じだ。
後悔してないから、「地元の公立の教育機関に入れさせる」ことがいいことのように思っていた時期もある。保育園に入れさせられた子供はそのぶん親に甘えることも難しそうだ、なんて思っていた。子供よりも仕事、そんなイメージがあって、子供が荒れてしまうのではないか、と考えていた。
でもそれはきっと違う。
わたしの伯母は伯父と共働きだ。毎日看護師として夜勤夜勤とバリバリに働いている。従兄弟を生む時に一年産休を取ったものの、すぐに復帰して働いた。
それを母は最初よく思ってなかった。
「○○ちゃん(伯母の名前)、子供がまだ小さいのに働くって…子供が可哀想。保育園に入れるなんて。ちゃんと育てないといけないのに。荒れたらどうするんだろう」
なんて言っていたし、私も最初それに同意していた。
しかし、従兄弟は荒れるどころか大人しくていい子に成長した。
そこで、「保育園に入れられた子供」は可哀想ではない、ということがよくわかった。
伯母はバリバリ働いていたが、従兄弟に愛は注いでいた。料理も伯父と交代しながら作り、2人で協力しながら育児をおこなっているように思う。保育園も幼稚園とそんなに変わらない教育が施されるわけだし、むしろ母のキャリアが保たれるという点では保育園の方がいいように思える。
私は今働いているわけだが、結婚と共に仕事を辞めるか?と聞かれると正直やめたくないというのが本音だ。今の仕事はやりがいも感じているし楽しい。これからキャリアも積んでいきたいと思っている。それなのに結婚とともにそれが犠牲になるなんて嫌だ。子供ができたとしても伯母のように働いて家事育児と仕事を両立させたいと思っている。
でももし、姑に「保育園に入れるなんて可哀想」なんて言われたりしたら。たまったもんじゃないだろう。それは母と私が以前正しいと思っていた考え方ではあるが、今思うととても古い考え方だ。自分が保育園に入れてないからといってそれが正当な育児ではないのだから。
ま、私には彼氏などいないので姑に小言言われるなど妄想でしかないのだが。(号泣)
まぁそれはさておき。
「保育園」の他にも前述したが「小学校受験」なんかも出てくる。名門大学に通わせるために小学校のうちから受験するのだ。
私は小学校受験はそんなに意識したことはないが、「中学受験」には憧れを抱いたことがある。
ハッピー「お母さん、私中学受験したい。私立や国立の中学校に行きたい」
そんな風に言った。
先程とは別の同い年の従姉妹がいるが、彼女は広島でそこそこ名門の中学受験をする予定だった。それがなんだかすごいことのようで憧れていた。
しかし、それも却下された。理由は中学生が山口から広島まで通うなんてアホらしいし、かといって山口には名門学校などない、というのももちろんあるが、「地元の公立中学校に通わす」という、ここでも謎ルールを掲げていたのだ。
仕方なく地元の中学校に通った。
対して従姉妹はそこそこの名門私立に合格し、楽しい学校生活を送っていた。名門私立だから、すごくレベルの高い大学に行くのだろうなぁすごいなぁとボーッと思っていた。
けれど、従姉妹はそのままエスカレーターで受験勉強することもなく附属の大学に進学した。
どうやら小学校の時からずっと塾に入れさせられ、勉強勉強の日々に疲れてしまったようだった。
そこで思ってしまった。
「子供のため」と教育を強制させるのはかえって子供のためにならないのかもしれないな、と。
クローバーナイトでは、小学校受験の賛否も問われてる。「子供のため」と強制的にやらせているのか、それとも「子供に苦労させたくない」と親にできることをさせているのか。
「地元の公立学校に通わす」ことが本当に正解だとは思わない。でも、「子供のため」を思うなら、子供に選択させるのが一番じゃないかと思う。
小学校受験なんて、幼稚園のころからやらせるなんて可哀想だ、という意見は本当によくわかる。幼稚園のまだよくわかってない時期に強制的に教育を施したら私の従姉妹のように勉強が嫌になるのではないかと思う。たとえ子供の将来を案じたとしても、高学歴になるとは限らないし、高学歴だからといってそれが幸せかもわからない。
だから、本人が受験したいと言えば受験させたらいいし、したいと言わなければ地元公立学校でいいと思う。
「子供のため」「子供の将来のため」にキャリアを捨てる母。受験に没頭させる母。みんな子供のために戦うナイトだ。子供のために
奮闘している。時に教育方針で姑や実母、夫と対立してしまうことも起きるだろう。それは皆「自分の育児」が絶対的に正しいからだ。でも本当は絶対的に正しい育児なんてないのだろう。私は「保育園に預け、子供に進学先を選択させるのがいい」と思っているけれど、母は「母親のそばで育てて地元の公立の教育機関に進学させる」と思っていたわけで、たぶんどれも正解ではないし、間違いでもない。
だから「子供のため」と家族と対立してしまった際に「子供」が守れなくならないようにしていきたいと思う。自分たちの子供、家族それぞれを大切に過ごしていきたい。そんな風に思った。

皆さんも「クローバーナイト」ぜひ読んでみてください!

それでは、さようなら。