幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

本日は大安なり

結婚。

私は結婚ということに小さい頃、憧れを持っていた。初恋の男の子から指輪をもらって式をハワイで挙げて…そんな妄想をしては一人でニヤニヤと笑っていた。

今でもウェディングドレスを着てみたい、大切な相手と共に生活してみたりしたい、なんて思ったりする。でも、相変わらずその「大切な相手」とやらはいないわけだし、それでなくてもブス&デブなのに…ウェディングドレスなんか着たら逆に不謹慎だ、と思う。


本日は大安なり」はホテルで結婚する人や、それを導くプランナーの人たちの物語だ。

本日は大安なり (角川文庫)

本日は大安なり (角川文庫)

何もかも成功するとされる「大安」
その日に式をあげる人々。
双子の姉にコンプレックスを持ち、結婚当日に入れ替わる女。ヒステリックな女とその女からフィアンセを奪われたプランナー。家族から評判の悪い男とそのフィアンセの女を守ろうとする男の子。既婚者なのに浮気をし、結婚式をあげようとする男。
どの人たちも一癖二癖あり、少し笑ってしまう。
私はいつまで経っても恋人ができない、いわば経験が少ないことに少しコンプレックスがある。彼氏というものに憧れはあるけど、私と付き合いたいという男性はこれから先も現れる気がしない。「決めつけるのはまだ早いよ。可能性はあるよ」なんて言ってくれる人もいるけど、何を根拠に言っているのだと思ってしまう。待っても待っても現れないし、もうこのままずっと独身なんじゃないかと思う。結婚する人はきっと私と違ってまともで、人生を謳歌してるのだろうな、と思う。
でも、今回の本を見てみても、「結婚」する人なのに到底「まとも」といえる人はいないこともある、ということに気づいた。既婚者のくせに浮気をし、その浮気相手と結婚式をあげる男なんざ私からしたら論外の極みで、なんでそんな男が女を取っ替え引っ替えし、結婚できるんだ、という感想しかわかない。
結婚は理想だ。キラキラと輝き、幸せに満ち溢れ、ああなりたいと思うもの。
でも、現実の「結婚」は必ずしもそう輝くものではないのかもしれない。

それと、結婚は当人だけの問題じゃない、ということもわかった。
学生のように「好きだから」という思いのみで付き合うのとは当たり前だが話が違う。家族の輪の中に違う血が入るようなものだ。
この本にも旦那さんとなる人が家族に気に入られるず、喧嘩喧嘩の嵐となってしまう話がある。あんな男やめな、常識がない、結婚はやめだ…。
それまで結婚するのは本人たちの問題とだけ思っていた。でも、やはり結婚相手は家族の一員になるわけで、家族の問題でもある。家族が結婚の邪魔をすることだってある。
しかし、本人たちが幸せならなんら問題はないはずなのに…とどうしても私は思ってしまう。無理やり結婚を破談したり別れさせたところで何が残るのだろう。その人の自己満足なんじゃないか、と強く思う。
私は結婚するとなって、その相手の家族と仲良くできるのだろうか。嫌われる気しかしない。もし、「あなたは息子の嫁なんだからちゃんとそれにふさわしくなるようにしなさい」なんて人が姑だとしたら。絶対うまくいく気がしない。男尊女卑の思想が強かったり、「男は仕事、女は家事育児」という考えを押し付けてきたら。そんなの絶対嫌だし困る。私自身も気が強く自己中なので、「非常識な女」と言われることも容易に想像できる。

冒頭で相手もいなければ、自分がウェディングドレス着るのも無理なのでは、と書いた。だけどそれ以外の理由でも不安要素はたくさんある。やはり、結婚とは大きな博打で、必ずしも幸せになれるかなんてわからない。だからこそ「何もかも上手くいく」とされる「大安」で式をあげることを望み、何百万とかけて結婚式をするのかもしれない、と思った。

私もきっと幸せになれると信じて、日々頑張ろう…。「決めつけるのはまだ早い。可能性はあるよ」という友人の言葉を少し、信じてみたい。

皆さんもぜひ、「本日は大安なり」を読んでみてください!

それでは、さようなら。