幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

バレンタイン

皆さん、お久しぶりです。

こんにちは、タカハッピーです。

本当に久々ですね。最近小説執筆に忙しくて全くブログの方が書けていませんでした。


まだ書き終えたわけではありませんし、他にも書かないといけないものがありますが、とりあえずひと段落ついたので、ブログを復活してみました。


そして皆さん、もうすぐドッキドキの…

バレンタインデーがありますね!(ニヤニヤ)

高校生の私もバレンタインデーに男の子にチョコを渡したりしましたな。懐かしい…

戻らない青春…


そんな青春は遠の昔なので、わたしはバレンタインなどすっかり頭から抜け、ただ漠然と日々を過ごしていたのですが…


「ねね、ハッピーさん。バレンタインどうする?」


突然の同期の女の子のこの一言。


「どうするって…ああ、配らないといけないのか」

「課全員に配らないといけないよね。あーどうしよ。大変だ」

「でも、今年のバレンタイン日曜だよ…」

「月曜か金曜に渡すことになるだろうね」


ああ、この感じ…

懐かしいな…

高校生のとき。友チョコ義理チョコ本命なんぞ考えてたくさん作ったりラッピングしたりで死ぬほど大変でした。

大学になると、共学だけどほぼ女子大なのもあって、この超大変な制度はなくなりました。(春休み中だったし)

しかし。今この制度が復活してしまったということなのか…


ハッピー「やっぱ課全員かー。私月曜日免許更新で休むから木曜に作って金曜に配らなきゃだ」


同期「うん、頑張ろうね…」


そして来る木曜日。

なんとこの木曜日、建国記念日でお休み!!これはチャーンス!と思ったわたしは…


11:00起床。

(寝たかったんだよ….)


急いで起きて「あかん!ココアパウダー買わないといけないのに!」と急いで近所のスーパーへ。

買い戻ってきて「よし!ココアパウダー買ったらもう十分!作るぞ!」と腕をまくると…


ハッピー「あ、卵」


チャラリ〜チャラリラリ〜リ〜(嘉門達夫鼻から牛乳


またスーパーへレッツゴー。アホの極みである。

卵も揃ったことだしいざクッキング!

今回作るのは…「うさぎ秘伝のクッキー」!!!

私は親友にうさぎちゃんという子がいるのですが、この子はパティシエレベルにお菓子作りができるのです。

f:id:bzbzbzaptx4869:20210212210033j:plain

こんなの作ったり…

f:id:bzbzbzaptx4869:20210212210101j:plain

こんなの作ったりと…

見栄えも素晴らしい上に味もめちゃくちゃ美味しく、本当に感動するようなお菓子を作るのです。


今回私が作るのは、そんなうさぎが研究に研究を重ねた「超美味しいクッキー」なのです。


その辺にあるネットレシピの手作りクッキーではなく、アンパイをいくためにうさぎ秘伝のクッキーだなんて、ハッピーったらせこい?

ふふ。持つべきものは親友なのよ(ドヤ)


まず、バターと砂糖を混ぜて…

卵とバニラエッセンスを入れて…

そこに小麦粉を…ドーン!!!


ところで、今回作るにあたって、何枚作るかなのですが…


(20〜30枚で大体小麦粉230グラムか…課全員と…同期と…あといつもよく遊びに行くいく児童係にもあげたい…そしたら何枚になるんだろう。だいぶ多いよな…そうだ。×4で80〜120枚分作ろう!)


80〜120枚分作ることを決意。

まぁめちゃくちゃ人数多いしこのくらいいるでしょ!なんて思っていました。


…しかし、これが私を苦しめていくことになるのです。


まず小麦粉。230×4なので920グラム必要だったのです。

これでも一応料理をするので小麦粉のストックはあったのですが、問題は…


「ボウルから…溢れるわ…」

本当に満杯になるほどの小麦粉。生地を練ろうとすると溢れそうでヒヤヒヤ。何回かに分けてやりました。小麦粉を足しては練り、足しては練り…

「めちゃくちゃ時間かかるな…」

920グラムが想像以上の量であることを知り、後悔しました。くそ、こんなに時間がかかるなんてうさぎは言ってなかったぞ。いや、うさぎは230グラム想定のレシピを考えていたわけだから言ってなくて当然だけどさ。

なんとか生地がまとまったところで…

「よし、ここでココアパウダーを混ぜるぞ」

ただのクッキーだと「バレンタイン」の意味がありません。チョコレートをあげる日なのに、ただのクッキーだと「あいつバレンタインの意味わかってんのか」となることでしょう。

だからこそ、ココアパウダーは超重要なのです。

「よし、これを入れて…」

もちろん、うさぎのレシピにはココアパウダーを入れるなんぞ書かれていません。ここはわたしオリジナル。

適当な量を入れ、練って、入れて練って……

「……ぜんっっぜん混ざらん…」

何せ1キロ以上ある生地。ココアパウダーを全体に行き渡らせるのにも一苦労です。


「重いし弾力あるし、ええ、こんなんいつまで経ってもマーブル模様のままやん。茶色になってくれるんか?大丈夫なんか?」


ヒーヒー言いながら練って練ってを繰り返しました。途中で辛くなってApple musicでヒゲダンを流しました。グッバイ。君の運命のヒトは僕じゃない。…なんだかボーカルのさとっちゃんに別れを告げられてより辛くなりました。


そうするうちになんとか生地が完成。

長かった。ああ、本当に長かった…

ラップで生地を包んで1時間休ませて…

その間に皿洗いと米研ぎ(晩御飯用)を済ませて…

よし!次は型抜きだ!

予熱したオーブンに型でくり抜いたクッキーを入れて…

15分焼く!

その間に型でくり抜いて…

焼く!


くり抜いて焼いてくり抜いて焼いて…


f:id:bzbzbzaptx4869:20210212213602j:plain

終わらないよ〜( ;∀;)

何せ一キロ以上ある生地。そんなすぐできるはずもなく。

楽しいはずの型抜きがもうただただ事務作業でした。もう淡々とこなしていました。くそ、なんでわたしはこんなことをしてるんだ。いやまぁ自分でこれをするって決めたんだけどさ。


それから何時間か経ち…


18:50


f:id:bzbzbzaptx4869:20210212214009j:plain



できたー(((o(*゚▽゚*)o)))♡

どんぶり二つに溢れそうなほどの大量クッキーが完成しました。ほらね、私もやればできるだろ。


早速味見をしてみました。

「ん………だいぶ甘さ控えめっぽい…?ココアパウダー入れすぎたかしら…まぁいっかこんなもんやろ」


私のいらぬアレンジのせいでうさぎの作ったクッキーと味が若干違ったように思えました…もしかしたらいろんな人から大して美味しくなくても「美味しかったよ」と気を使われるかもしれない…

でも不味くはないし、これを配ろう!いえーい!(いいのかよ)


今度はいそいそとラッピング……

包んで包んで包んで…

気がつくと1時間経ってました(ゲッソリ)

80〜120枚あるから当然ですね。

大体35人分くらいできました。

「よし!こんだけ作ったからもう大丈夫やろ!!!」

いざ!明日の出勤!!!


「おはようございます、これ、バレンタインのお菓子です」


本日。課全員に配って周りました。


「あんた、みんなに配るの?サンタクロースみたいだね」


先輩からもそう言われるという笑


たしかに聖なるハッピー、サンタクロースかもしれないわ。季節外れだけど。


課全員に配り…同期に配り…


「…16人分余った………」


だいぶ余るという笑


まだ児童係には配ってないけれど、16人分は絶対多い…


「ほら、あの男性に渡せばいいやん」

「え// あんまり話したことないんだけど//」

「なに照れとるんや」

同期からアドバイスを受けたり…


「○○さん(美人な先輩)…私○○さん大好きなので二つあげちゃいます」


美人な先輩「え、ありがとうございます」


美人な先輩に二つあげたり…


隣の課の人にばら撒いてあげたりと……


ハッピー「よし!!!なんとかはけたぞ!!!」


約35人分、なんとか完売!!!!

いや〜それにしても…

どう考えても1キロ近いあの量は多すぎたな………

次はもっと考えてやろう……


そして定時になり…わたしはいつものごとくスマホを取り出しました。

すると、声を失いました。


「ハッピーちゃんのクッキー、おばあちゃん食べたいそうです」


…………ギャーーーーー。


そうだ、明日おばあちゃん家に行くんだった。何も考えずお母さんにクッキーの写真をLINEで送ったからおばあちゃんに見せたのね。


しかし、もう手元にはクッキーはありません。


でも、おばあちゃんにできるだけ孝行したい。


ハッピー「すみません、○○さん(美人な先輩)…クッキー1つ返してもらってもいいですか…?」


お前ほんっっっと最低だな!!!!

と罵られてもおかしくありません。


先輩「あ、いいですよ」


いや全然良くない。

よくないのに優しく返してくれる美人な先輩。

本当になんていい人なんだろう。私もあんな綺麗で素敵な人になりたい。

心から美人な先輩に感謝をし、明日おばあちゃんに渡すものも確保。


よかった…これで安心して今日も眠ることができる……


…という、バレンタインデーのイベントでした。笑


一言で言うのであれば、何事も計画的にしないとダメだということですね。


何も考えず「どれくらいかわからんから」と大量にクッキーを作ったりおばあちゃんのを残さなかったりと、計画性のNASAを痛感しました。


次作る時はもっと考えてやろう!

そうすることで、自分も周りもハッピーになる。

これはお菓子作りの他にも言えることだと思います。すごく当たり前のことだけど。大切なことでもあると思います。

皆さんも何事も計画的に!(ためになるなぁ) 


それでは、さようなら。


日記

こんにちは、タカハッピーです。

最近、ブログがいい加減になりつつあります。

1〜2週間に一度読書感想文を投稿のみ…あれだけ日々の日記を書いていたのにハッピーったらどうしちゃったの…と思ってる人もいるかもしれません。


話は変わりますが、本日友人のKが某東京市の公務員試験に合格しました。


K「合格した!」

ハッピー「おめでとう!!!ほんまに頑張った!君は天才だ!!!!」

K「ハッピーのおかげです!ほんまにありがと!」

私は公務員試験を受けた身なのでそのノウハウを彼に伝えていました。なので、合格した時は本当に自分のことのように嬉しかった…!


K「ブログのネタになったじゃん!笑」


……ん。

ん、、、ギクッ!


K「ネタ困ってそうじゃん!笑」


ヒョエー!!!ネタギレがバレてるぅぅぅ!

とまぁそう指摘されてしまうぐらい、日常を書かなくなっているという…笑


なんでブログがいい加減になってしまったのか。これにはネタギレもありますが、他にも理由が三つあります。


1.ブログとは他に日記をつけはじめた

2.本を読むのに忙しい

3.ちょくちょく小説を書いているので時間がない


この3つが主な原因ですね。

2と3は密接した理由です。社会人になって、小説をやっぱり書いて完成させたい!と思うようになり、本を読んで勉強しつつ自分でも書いてみる、ということをするようになりました。

まぁ駄文なので世に認められるようなものではないと自分でもわかっているのですが…笑。それでも書いて、完成したら友達に読んでもらおうかななんて思っています。


……で。

1の理由が一番大きいですね。

「ブログやってんのに日記つけてるってどういうこと?」

と思ってる方もいるかもしれません。


私はもともとブログを始めたのは、「日々文章を書く癖をつけ、文章力をつける」ことを目指したためです。

私の憧れ、SEKAI NO OWARISaoriさんは毎日日記をつけて文章力を高め、「ふたご」という素晴らしい小説を完成させ、見事直木賞にノミネートされています。

すごい…私もあんな風になりたい…

毎日日記をつけるのは絶対無理だけど、1〜2週間に一度好きなようにブログ記事を書くくらいならできるかも!そしたらSaoriさんに少しは近づけるかも!とブログを開設。大学3年から今に至るまで続いています。

親友の愛読者、うさぎちゃんから「初期の頃に比べて文章力が上がってる!やっぱり継続は力なりだね!」と言われたのもあって、「やっぱりブログのお陰で文章力が上がってるのかも!」なんて思っていました。

しかし、ある日上司にこんなことを言われたのです。

「うーん。ブログが悪いわけじゃないけど、スマホで適当に作ったブログ記事は、文章力とはあんまり関係ないと思うよ」

…ぬぬぬ。

「やっぱり紙に鉛筆でちゃんと文字にして書かないと。それで毎日続けること。そうしないと文章力は上がらないと思うよ!」

ガーン

その一言は私の「絶対毎日日記は無理」という横着を見透かされた気がしたのです。

私はかなりのめんどくさがり屋です。文章を書くのは好きだけど、毎日するなんて絶対にめんどくさくなる、と思っていました。

それに。私は文字を書くのがあんまり得意ではありません。幼稚園から小5まで習字を習っていましたが「ジッと黙って正座をし、文字を丁寧に書く」というのが苦行の他なにものでもなく、もう嫌で嫌で仕方がなかったのです。

毎日続ける継続力がないこと。

文字を書くのがあんまり得意ではないこと。

この二つの理由から、スマホで綴るブログに逃げていたというわけです。

「毎日日記つけてみたら?そしたら俺が読んでハンコ押すからさ。ラジオ体操みたいに」

…ほう。

確かに自分自身のためだけに書くのであればそんなにやる気は出ないかもしれない。でも、上司に出すのであれば「書かないと!」となって書くようになるかもしれない。

それに意外とやり始めたら楽しいかもしれない。ブログだって毎日ではないけれど今日まで続いている。とりあえずやってみようかな!


そう思い、ノートに日記を書くようになりました。

f:id:bzbzbzaptx4869:20201121211720j:plain

これがその日記帳。

f:id:bzbzbzaptx4869:20201121212457j:plain

中身はこんな感じ。


一部を紹介してみます。

「10/16 同期のSとおしゃべりを17:30までして帰宅。帰る前上司に声かけられることもあるが、呆れられたのか今日は黙って先に帰られてた。帰宅して火曜に買った1つ98円のアボカドを切り、特製ソースをつけて食べようと思った。しかし、ソースの材料である卵を昨日買い忘れていたため、刺身醤油で食べることにした。アボカドをルンルンで切っていたら、刃が左手の人差し指にかすり、大出血を起こした。今日は少し厄日だと思った」


…とまぁこんな感じ。


きったない字で本当にどうでもいいことを書き、上司に提出。

すると…


上司「アヒャヒャ。ハッピーちゃん文章書くの上手。本当に面白いね!プリキュアのスタンプ押すよ。面白い文章ありがとう!のお礼のスタンプね!」


なんとめちゃくちゃ大好評。

褒められると伸びるタイプなので、「やった!上司に読んでもらえるよう毎日日記をつけよう!」とやる気もりもり。

最初は5行くらいのものが、時々30行になったりと、日記に力を入れるようになりました。


帰省した時も日記帳を持っていき、書いていました。

ハッピー「私毎日日記つけてるんだよね」

両親「すごいじゃん!」

ハッピー「で、毎日上司に見てもらってハンコ押してもらってるの」

両親「え?…それって日誌とか日報じゃなくて?」

ハッピー「ううん、毎日日記を書いて、プリキュアのスタンプ押してもらってる」

両親「え"…なにそれ…お前のそのきったない字でよく読む気になるなぁ…上司さんも変わってるよ………」


上司「いや変わってるのは俺じゃなくて自分の娘だと自覚をもってほしいな!」

と上司は後日反論してましたが。笑


というわけで…

1.毎日の日記

2.読書

3.小説執筆

とネタギレが合わさってブログから遠のいていたというわけです。


でも、意外と私のブログを読んでくれている優しい人達も多くいるわけで。

大学時代ほとんど話したことないのに「ブログ楽しみにしてるよ!」なんて言ってくれる人や、友人Kみたいにネタを提供してくれる人もいます。

だから、私はこれからもブログをやり続けようと思います!更新頻度は遅くなりますが、気長に待って読んでくださいね!よろしくお願いします!


それでは、さようなら。




きのうの影踏み

噂話。
果たしてそれはどこから始まり、どう広まっていくのか。
私も考えたことがある。
きのうの影踏み (角川文庫)

きのうの影踏み (角川文庫)

「きのうの影踏み」の「噂地図」という話の中に、噂話は果たして誰が根源で、どう広まっていくのかを調べる「噂地図」を書く様子がある。
「晶子ちゃんと鳥飼くんが付き合ってる」という噂が流れる。それは、一組の瀬川美亜さんから聞いた。瀬川さんは飯久保さんから。飯久保さんは…と、どんどん点と線をつなげるようにして地図を作っていくのだ。
噂地図を作ったことはないけれど、噂の根源を徹底的に調べられそうになった経験ならある。
私が中学生の頃、Tちゃんの筆箱がゴミ箱の中から発見された、というちょっとした事件が起きた。それも一回ではない。何度か繰り返された。
学校の先生は躍起になって犯人を探した。
「ちょっとした情報でもいい。何か知ってることがあったら紙に書いて欲しい」
学年集会が起き、皆で紙に書いて出した。
私はその時、Tちゃんと仲の良かったAちゃんが犯人なのではないか、と書いた。何せ繰り返し起きた事件なので、先生が学年集会を開く前から「あの子、いつもTちゃんのそばにいるし犯人なんじゃないの」と噂が流れていた。
私以外の人間も書いていたのだろう。Aちゃんは先生に呼ばれ、犯人かどうか確認されていた。
「違います。私はしていません」
どうやら違ったようだった。
やはり噂話だったか…私を含む皆がそう思っていると、今度は「Aちゃんが犯人だと悪質な噂を最初に流した人間は誰か」と先生たちは一人一人を呼び出し確認を取り出した。

…バカじゃないの?

あんたら本当に先生なのか?そんなのわかるわけがない。「はい私が噂を流しました」と流した人が言うわけないし、その悪質な噂を流した人が誰かわかったところで何になる。反省させられるとでも思ってるんだろうか?

しかし、そんな私の思いも届かず。先生たちは噂地図を作るように一人一人を呼び出し「その噂話は誰に聞いたの?」と聞いていった。

当然だが噂の根源はわからなかった。

噂なんて誰かが思いつきで言ってるだろうし、聞いてる方も適当なものだと思う。結局噂話はエンターテイメントでしかなく、それを綺麗に筋道たてて作るなんて無茶だ。

だから「噂地図」の主人公も、適当に作れるとでっちあげたのだと思う。
適当に作っても、真相なんてわかるはずないのだから。
でも、噂を誰がはじめて、広げていったのか。そのことを調べるのは少し面白そうだとは思う。
Tちゃん筆箱事件の犯人は、Tちゃんに片想いし、告白するも玉砕した男の子らしかった。…これは犯人扱いされたAちゃんから聞いた話だ。「彼は動機が十分にある」と彼女は言っていた。その時は「ああなるほど」と思っていたけれど、その噂の根源は?誰かから聞いたのか、それとも現場を見たのか。もしかしたらAちゃんが自分で勝手に作り上げて言ってるのか…真相は絶対にわからない。でも探偵のように、調べていってその事実に近づいていくことはワクワクするだろう。
そんな風に思う。

これから先、なんなら今現在も噂話は飛び交ってる。その根源を調べる気力は正直ない。でも、根拠なしにでっちあげようなんてことは絶対にしないようにしよう。そう思った。

皆さんもぜひ、「きのうの影踏み」を読んでみてください。

それでは、さようなら。




水底フェスタ

腐った社会。


生きていてそう感じたことは多々ある。

でも。この本の「村社会」のような経験はなく、ただひたすら鳥肌が立った。


水底フェスタ

水底フェスタ

男尊女卑の色濃い家庭。
不正選挙。
犯罪を揉み消す社会。
この本にはそんなことが盛り沢山だ。
どれも自分には全く馴染みのない世界だ。…と書いたが、「男尊女卑」が色濃いとまではいかないけれど、私の家も比較的父の方が強いように思う。
父は絶対に家事をしない。仕事はちゃんとやるし、経済的DVをすることもない。いわば父としての役割は頑張っている。けれど、絶対に母の家事を自ら手伝うことはない。
そして時々母のことを家政婦と思ってるのか?という言動も多々ある。仕事で嫌なことがあれば暴力はないけれど言葉で当たったりと、そういうこともしていた。言ってしまえば私は中学までそんな父のことが嫌いだった。
稼いでくるのがそんなに偉いのか?母だってパートと家事と育児を両立させているし、対等であるべきなんじゃないか…こんなことをずっと思っていた。
けれどたぶん、父がそんななのは、そういう家庭で育ったからなのだと思う。
父の父…祖父も祖母によく小言を言う人だった。あれがダメ、これがダメ、使えない奴だな…と。きっと悪気はない。だってこういう姿が当たり前なのだ。
その「当たり前」の姿が脈々と続いてしまう。
だから変わらないまま、化石のような男尊女卑家庭ができてしまうのだろう。

高校になってからは父も仕事を頑張っているし、家事手伝いはせずともなんだかんだ家族が大事なんだと思えるようになった。父が悪いというよりか、あるべき父の姿がわからなくなってるのかもしれないと思うようになった。

この本の主人公「広海」も、本当は私のようにそう思いたかったのかもしれない。
腐った村社会を回し、不倫をし、犯罪を揉み消そうとする父のことをどこか信じて「普通」の家庭として戻ることを願っていたのかもしれない。
…あまりに知りすぎてしまったがために「普通」に戻れることは、不可能であることを、広海は気づいていたけれど。

先ほども述べたが、男尊女卑といった社会は当事者自身に自覚がないのだろう。広海の父も自覚がなく、加担してることさえ分かってないのだと思う。自分の私利私欲に走り、男尊女卑どころか腐った村社会を築き、それを息子の広海に受け継がせようと考えていた。

誰かが気づかなければ、ずっとそれが「正しいもの」として扱われる。父が祖父の姿を見てこれが正しいと感じているように。それは、どの分野でも共通することだと思う。

だから、私は常に何が正しいのか、考えようと思った。自分の育ってきた環境が全てではないし、私がこれまでいいと思っていたことが実はよくないことかもしれない。まぁ「絶対的に正しいもの」というのは存在しないけれど、その場その場で考えて行動して、腐った社会に加担しないようにしたい。そう思った。

みなさんもぜひ、「水底フェスタ」読んでみてください。辻村深月さんの作品の中でもかなり現実味を帯びた、少しグロテスクなストーリーです。

それでは、さようなら。

本日は大安なり

結婚。

私は結婚ということに小さい頃、憧れを持っていた。初恋の男の子から指輪をもらって式をハワイで挙げて…そんな妄想をしては一人でニヤニヤと笑っていた。

今でもウェディングドレスを着てみたい、大切な相手と共に生活してみたりしたい、なんて思ったりする。でも、相変わらずその「大切な相手」とやらはいないわけだし、それでなくてもブス&デブなのに…ウェディングドレスなんか着たら逆に不謹慎だ、と思う。


本日は大安なり」はホテルで結婚する人や、それを導くプランナーの人たちの物語だ。

本日は大安なり (角川文庫)

本日は大安なり (角川文庫)

何もかも成功するとされる「大安」
その日に式をあげる人々。
双子の姉にコンプレックスを持ち、結婚当日に入れ替わる女。ヒステリックな女とその女からフィアンセを奪われたプランナー。家族から評判の悪い男とそのフィアンセの女を守ろうとする男の子。既婚者なのに浮気をし、結婚式をあげようとする男。
どの人たちも一癖二癖あり、少し笑ってしまう。
私はいつまで経っても恋人ができない、いわば経験が少ないことに少しコンプレックスがある。彼氏というものに憧れはあるけど、私と付き合いたいという男性はこれから先も現れる気がしない。「決めつけるのはまだ早いよ。可能性はあるよ」なんて言ってくれる人もいるけど、何を根拠に言っているのだと思ってしまう。待っても待っても現れないし、もうこのままずっと独身なんじゃないかと思う。結婚する人はきっと私と違ってまともで、人生を謳歌してるのだろうな、と思う。
でも、今回の本を見てみても、「結婚」する人なのに到底「まとも」といえる人はいないこともある、ということに気づいた。既婚者のくせに浮気をし、その浮気相手と結婚式をあげる男なんざ私からしたら論外の極みで、なんでそんな男が女を取っ替え引っ替えし、結婚できるんだ、という感想しかわかない。
結婚は理想だ。キラキラと輝き、幸せに満ち溢れ、ああなりたいと思うもの。
でも、現実の「結婚」は必ずしもそう輝くものではないのかもしれない。

それと、結婚は当人だけの問題じゃない、ということもわかった。
学生のように「好きだから」という思いのみで付き合うのとは当たり前だが話が違う。家族の輪の中に違う血が入るようなものだ。
この本にも旦那さんとなる人が家族に気に入られるず、喧嘩喧嘩の嵐となってしまう話がある。あんな男やめな、常識がない、結婚はやめだ…。
それまで結婚するのは本人たちの問題とだけ思っていた。でも、やはり結婚相手は家族の一員になるわけで、家族の問題でもある。家族が結婚の邪魔をすることだってある。
しかし、本人たちが幸せならなんら問題はないはずなのに…とどうしても私は思ってしまう。無理やり結婚を破談したり別れさせたところで何が残るのだろう。その人の自己満足なんじゃないか、と強く思う。
私は結婚するとなって、その相手の家族と仲良くできるのだろうか。嫌われる気しかしない。もし、「あなたは息子の嫁なんだからちゃんとそれにふさわしくなるようにしなさい」なんて人が姑だとしたら。絶対うまくいく気がしない。男尊女卑の思想が強かったり、「男は仕事、女は家事育児」という考えを押し付けてきたら。そんなの絶対嫌だし困る。私自身も気が強く自己中なので、「非常識な女」と言われることも容易に想像できる。

冒頭で相手もいなければ、自分がウェディングドレス着るのも無理なのでは、と書いた。だけどそれ以外の理由でも不安要素はたくさんある。やはり、結婚とは大きな博打で、必ずしも幸せになれるかなんてわからない。だからこそ「何もかも上手くいく」とされる「大安」で式をあげることを望み、何百万とかけて結婚式をするのかもしれない、と思った。

私もきっと幸せになれると信じて、日々頑張ろう…。「決めつけるのはまだ早い。可能性はあるよ」という友人の言葉を少し、信じてみたい。

皆さんもぜひ、「本日は大安なり」を読んでみてください!

それでは、さようなら。


ふちなしのかがみ

現実と鏡、真実と夢の境目がなくなってしまう……


「ふちなしのかがみ」という話の主人公、香奈子は夢の世界に囚われ、おかしくなっていってしまう…


ふちなしのかがみ (角川文庫)

ふちなしのかがみ (角川文庫)

わたしは昔から「お化け」というのが怖くて怖くてたまらなかった。
小学三年生の時、遊園地の中にあったお化け屋敷に入り、号泣。それからというもの、非科学的なオカルトものがなんだか怖いと思うようになった。
学校の怪談」という本が学校で流行った時も「怖いの嫌だ」と中々手につけられなかった。「世にも奇妙な物語」なんて番組を親が見はじめたときはすぐさま逃げていた。
魔女が大好きのくせにお化けは怖いというよくわからない子供だった。まぁ私の中の魔女はプリキュアに近く、力を持って自分の好きなようにできたり、可愛いコスチュームに変身したりすることに憧れを抱いていたのだけれど。
しかし、次第にわたしはオカルトを全く信じなくなる。
中学生のとき。ある時こんな噂が流れた。
「ハッピー、坂川くん(仮名)のことが好きなんでしょ?」
坂川くんは私の通っていたピアノの先生の息子さんだ。同い年で同じ中学の人だった。
坂川くんのことは別に好きでも嫌いでもなかった。ピアノはなんとなく習っていただけで、坂川くん目当てではない。
それにわたしは当時別の男の子のことが好きだった。上から目線で申し訳ないが坂川くんにはそんなに執着してなかった。
「ちがう。坂川のことは別に好きじゃない」
「照れてる〜素直になりなよ」
いや照れてないし素直な感想ですが。
私は心からそう思っていた。
最初のうちはまだよかった。だが次第に「ハッピーは坂川が大好き」という噂が坂川くん公認になるほど膨れ上がった。ことあるごとに坂川ネタでいじられ、坂川くん本人が「ハッピーなんか好みじゃないし好かれてる俺可哀想」などと吹聴していた。皆はエンターテインメントのごとく楽しんでいた。
極め付けは同じ部活の子に言われた一言だった。
「ハッピーが部活休んでるとき、こっくりさんしたんだ。そしたらハッピーの好きな人だれって聞いたら『坂川』って」

こっくりさんもこう言ってるからやっぱり坂川のこと大好きなんだね!」

………。

いやだから私坂川のこと好きじゃありませんから〜!残念っ!!!(波田陽区の声)

こっくりさんかなんだか知らないけど「坂川」ってなったんならそりゃ貴方達の指がそうしたんだろ。わたしは別の男の子が好きだったわけだし。
やっぱりオカルトとかまじないなんて嘘ばっか。そんなもんあるわけない。

…と次第にそう思うようになるという。
私は坂川くんが好きじゃなかったからこっくりさん等のおまじないなど全く信じなくなった。おまじないと現実の境界はくっきり分かれていて、融合して曖昧になることはなかった。

でももし、こっくりさんが私の好きな男の子をぴたりと当てていたら。
それか、「ふちなしのかがみ」の話のように鏡に自分の未来が映るというまじないをし、そこに好きな男の子との子供が映っていたら。
たぶん、盲信していたに違いない。
私は○○くんと付き合って結婚して子供ができて…と妄想にふけり、現実を直視できなくなっていただろう。
そうだ。きっとオカルトが楽しいのはそこもあるのだと思う。
現実が辛くて辛くて夢の世界に逃げる。その世界では現実とは違い、幸せで理想。それに執着するあまりに、だんだん歯車が狂っていく。
私はオカルトものに執着したことはないけれど、妄想癖はすごいので、少し分かる気がする。妄想の中の私はしっかりしていて顔も可愛い面白い子だ。そんな自分を想像するのは楽しいし、そうでありたいと願ってしまう。でも現実は。「街中歩いてたらナンパされるから気をつけなさいね」と言われても、されるのは宗教の勧誘ばかり。役所中噂になるほどの仕事のできないポンコツぶり。常に面白い人間でありたいのに頭が悪いので気の利いたことも言えない。
理想と現実が違いすぎて気を病むこともある。理想に近づきたい。そう願い、けれどなれなくて、悲しんでしまう。
きっと、ふちなしのかがみの香奈子もそうだ。
理想を願い、頑張ったつもりなのに全て空回りし、悲劇を起こしてしまう。現実と夢の世界の区別ができなくなり、どんどんおかしくなっていく。
序盤で「私はオカルトを信じてない」と言ったが、やはり言い切れないのかもしれない。高い理想を持って願う私はきっと香奈子とそう変わらない。「鏡のおまじないなんて」とバカにしてたけど、もし私が香奈子と同じ立場ならのめり込んでいたかもしれない。

私じゃなくても、もしかしたら誰にだって理想はあって、なにかのはずみにおまじないを信じてしまうことはあるのかもしれない。それが良い方向に転ぶことももしかしたらあるかもしれないけど、のまれてしまうことも十分にある。
その怖さも、もしかしたら魅力の一つなのかも。そういうふうに思った。

皆さんもぜひ、「ふちなしのかがみ」を読んでみてください!

それでは、さようなら。

クローバーナイト

家族ってなんだろう。

大切でもあるし、鬱陶しくもあるような気がする。自分のことを応援してくれると思いきや、やることなすこと反対されたり。

今回読んだ本を読んで特にそう思った。


クローバーナイト (光文社文庫)

クローバーナイト (光文社文庫)

「クローバーナイト」は主人公の裕と妻の志保、莉枝未と琉大の2人の子供を取り巻く家族ストーリーだ。
不倫をしてるのではないかと噂される母、保育園に子供をいれるために奮闘し疲れ果てる母、小学校受験をさせるためにこれでもかと教育を施す母、壮大な誕生日会に疲れる母…
そして孫の発達を心配する祖母とそれにイライラしてしまう母。
書いてみて気づいたが、主人公は父親の裕なのに、それぞれの話の当事者は母だ。最近はイクメンと騒がれてるけど、やはり育児の中心は父親ではなく母親なのかもしれない。
様々な話の中で志保が子供を保育園に入れる際、姑と対立してしてしまった、というシーンがある。「小さい子供を保育園に入れるだなんて可哀想」と冷たく言われてしまうのである。
それはなんだかわかる気がする。
私の母は結婚と同時に仕事をやめて、専業主婦として家事育児をやってきた。母の中では「母親のもとで子供を大事に育てたい」という思いもあったのだろう。たぶん。
だから「子供は絶対地元の公立幼稚園に入れる」という謎ルールを掲げていた。
「小さい時はお母さんと一緒にいさせたい」
「仕事をすることによって子供を保育園に預けるなんて可哀想」
と思っていたらしい。
私たち三姉妹は全員地元の某公立幼稚園に入れられた。そこでの日々は普通に楽しかったし、普通に満足している。
それから地元の公立小学校、中学校、高校、大学と進学していった。幼稚園から大学まで地元の公立だなんて今考えると少し笑える。華々しい学歴とは程遠いし、この教育方針は間違っていたのかはよくわからない。でも、この人生に今のところそんなに後悔してない。死ぬほど辛かった中学生活も、あれによって今の人格が形成されてる感があるのでまぁいっかという感じだ。
後悔してないから、「地元の公立の教育機関に入れさせる」ことがいいことのように思っていた時期もある。保育園に入れさせられた子供はそのぶん親に甘えることも難しそうだ、なんて思っていた。子供よりも仕事、そんなイメージがあって、子供が荒れてしまうのではないか、と考えていた。
でもそれはきっと違う。
わたしの伯母は伯父と共働きだ。毎日看護師として夜勤夜勤とバリバリに働いている。従兄弟を生む時に一年産休を取ったものの、すぐに復帰して働いた。
それを母は最初よく思ってなかった。
「○○ちゃん(伯母の名前)、子供がまだ小さいのに働くって…子供が可哀想。保育園に入れるなんて。ちゃんと育てないといけないのに。荒れたらどうするんだろう」
なんて言っていたし、私も最初それに同意していた。
しかし、従兄弟は荒れるどころか大人しくていい子に成長した。
そこで、「保育園に入れられた子供」は可哀想ではない、ということがよくわかった。
伯母はバリバリ働いていたが、従兄弟に愛は注いでいた。料理も伯父と交代しながら作り、2人で協力しながら育児をおこなっているように思う。保育園も幼稚園とそんなに変わらない教育が施されるわけだし、むしろ母のキャリアが保たれるという点では保育園の方がいいように思える。
私は今働いているわけだが、結婚と共に仕事を辞めるか?と聞かれると正直やめたくないというのが本音だ。今の仕事はやりがいも感じているし楽しい。これからキャリアも積んでいきたいと思っている。それなのに結婚とともにそれが犠牲になるなんて嫌だ。子供ができたとしても伯母のように働いて家事育児と仕事を両立させたいと思っている。
でももし、姑に「保育園に入れるなんて可哀想」なんて言われたりしたら。たまったもんじゃないだろう。それは母と私が以前正しいと思っていた考え方ではあるが、今思うととても古い考え方だ。自分が保育園に入れてないからといってそれが正当な育児ではないのだから。
ま、私には彼氏などいないので姑に小言言われるなど妄想でしかないのだが。(号泣)
まぁそれはさておき。
「保育園」の他にも前述したが「小学校受験」なんかも出てくる。名門大学に通わせるために小学校のうちから受験するのだ。
私は小学校受験はそんなに意識したことはないが、「中学受験」には憧れを抱いたことがある。
ハッピー「お母さん、私中学受験したい。私立や国立の中学校に行きたい」
そんな風に言った。
先程とは別の同い年の従姉妹がいるが、彼女は広島でそこそこ名門の中学受験をする予定だった。それがなんだかすごいことのようで憧れていた。
しかし、それも却下された。理由は中学生が山口から広島まで通うなんてアホらしいし、かといって山口には名門学校などない、というのももちろんあるが、「地元の公立中学校に通わす」という、ここでも謎ルールを掲げていたのだ。
仕方なく地元の中学校に通った。
対して従姉妹はそこそこの名門私立に合格し、楽しい学校生活を送っていた。名門私立だから、すごくレベルの高い大学に行くのだろうなぁすごいなぁとボーッと思っていた。
けれど、従姉妹はそのままエスカレーターで受験勉強することもなく附属の大学に進学した。
どうやら小学校の時からずっと塾に入れさせられ、勉強勉強の日々に疲れてしまったようだった。
そこで思ってしまった。
「子供のため」と教育を強制させるのはかえって子供のためにならないのかもしれないな、と。
クローバーナイトでは、小学校受験の賛否も問われてる。「子供のため」と強制的にやらせているのか、それとも「子供に苦労させたくない」と親にできることをさせているのか。
「地元の公立学校に通わす」ことが本当に正解だとは思わない。でも、「子供のため」を思うなら、子供に選択させるのが一番じゃないかと思う。
小学校受験なんて、幼稚園のころからやらせるなんて可哀想だ、という意見は本当によくわかる。幼稚園のまだよくわかってない時期に強制的に教育を施したら私の従姉妹のように勉強が嫌になるのではないかと思う。たとえ子供の将来を案じたとしても、高学歴になるとは限らないし、高学歴だからといってそれが幸せかもわからない。
だから、本人が受験したいと言えば受験させたらいいし、したいと言わなければ地元公立学校でいいと思う。
「子供のため」「子供の将来のため」にキャリアを捨てる母。受験に没頭させる母。みんな子供のために戦うナイトだ。子供のために
奮闘している。時に教育方針で姑や実母、夫と対立してしまうことも起きるだろう。それは皆「自分の育児」が絶対的に正しいからだ。でも本当は絶対的に正しい育児なんてないのだろう。私は「保育園に預け、子供に進学先を選択させるのがいい」と思っているけれど、母は「母親のそばで育てて地元の公立の教育機関に進学させる」と思っていたわけで、たぶんどれも正解ではないし、間違いでもない。
だから「子供のため」と家族と対立してしまった際に「子供」が守れなくならないようにしていきたいと思う。自分たちの子供、家族それぞれを大切に過ごしていきたい。そんな風に思った。

皆さんも「クローバーナイト」ぜひ読んでみてください!

それでは、さようなら。