幸せなら手を叩こう

思ったことを徒然なるままに

水底フェスタ

腐った社会。


生きていてそう感じたことは多々ある。

でも。この本の「村社会」のような経験はなく、ただひたすら鳥肌が立った。


水底フェスタ

水底フェスタ

男尊女卑の色濃い家庭。
不正選挙。
犯罪を揉み消す社会。
この本にはそんなことが盛り沢山だ。
どれも自分には全く馴染みのない世界だ。…と書いたが、「男尊女卑」が色濃いとまではいかないけれど、私の家も比較的父の方が強いように思う。
父は絶対に家事をしない。仕事はちゃんとやるし、経済的DVをすることもない。いわば父としての役割は頑張っている。けれど、絶対に母の家事を自ら手伝うことはない。
そして時々母のことを家政婦と思ってるのか?という言動も多々ある。仕事で嫌なことがあれば暴力はないけれど言葉で当たったりと、そういうこともしていた。言ってしまえば私は中学までそんな父のことが嫌いだった。
稼いでくるのがそんなに偉いのか?母だってパートと家事と育児を両立させているし、対等であるべきなんじゃないか…こんなことをずっと思っていた。
けれどたぶん、父がそんななのは、そういう家庭で育ったからなのだと思う。
父の父…祖父も祖母によく小言を言う人だった。あれがダメ、これがダメ、使えない奴だな…と。きっと悪気はない。だってこういう姿が当たり前なのだ。
その「当たり前」の姿が脈々と続いてしまう。
だから変わらないまま、化石のような男尊女卑家庭ができてしまうのだろう。

高校になってからは父も仕事を頑張っているし、家事手伝いはせずともなんだかんだ家族が大事なんだと思えるようになった。父が悪いというよりか、あるべき父の姿がわからなくなってるのかもしれないと思うようになった。

この本の主人公「広海」も、本当は私のようにそう思いたかったのかもしれない。
腐った村社会を回し、不倫をし、犯罪を揉み消そうとする父のことをどこか信じて「普通」の家庭として戻ることを願っていたのかもしれない。
…あまりに知りすぎてしまったがために「普通」に戻れることは、不可能であることを、広海は気づいていたけれど。

先ほども述べたが、男尊女卑といった社会は当事者自身に自覚がないのだろう。広海の父も自覚がなく、加担してることさえ分かってないのだと思う。自分の私利私欲に走り、男尊女卑どころか腐った村社会を築き、それを息子の広海に受け継がせようと考えていた。

誰かが気づかなければ、ずっとそれが「正しいもの」として扱われる。父が祖父の姿を見てこれが正しいと感じているように。それは、どの分野でも共通することだと思う。

だから、私は常に何が正しいのか、考えようと思った。自分の育ってきた環境が全てではないし、私がこれまでいいと思っていたことが実はよくないことかもしれない。まぁ「絶対的に正しいもの」というのは存在しないけれど、その場その場で考えて行動して、腐った社会に加担しないようにしたい。そう思った。

みなさんもぜひ、「水底フェスタ」読んでみてください。辻村深月さんの作品の中でもかなり現実味を帯びた、少しグロテスクなストーリーです。

それでは、さようなら。