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思ったことを徒然なるままに

ナチスと私とロシア 〜ベルリンは晴れているかを読んで〜

「戦争ものは嫌いだ」
私の友達はそんな風に言っていた。
「人が死んで涙を誘うような展開も、理不尽すぎる世の中の感じも何もかも嫌」
言わんとすることは分かる。私も戦争ものを好んで読むかと聞かれると、そうではない。
でも、「ベルリンは晴れているか」はものすごく引き込まれた。歴史の教科書のようなものではなく、まるで映画を見ているような臨場感、リアルな描写にひどく心を打たれた。

主人公のアウグステは戦中・戦後のドイツを駆け抜けていく。

ナチスドイツによる横暴な統治で、共産主義の思想を持っていた反ナチスの親を殺され、義理の妹も死に、それでもと生き抜く。その後、戦中保護してくれていた地下活動家の旦那が亡くなり、それを彼の甥っ子に伝えるために旅に出る………。

私はナチスユダヤ人を迫害していたことは知っていた。教科書にもそう書かれていたし、アンネ・フランクの伝記もそうつらつらと書かれていたから。

けれど、ユダヤ人やドイツ人関係なしに、共産主義者や障害者も差別され、迫害されていたことは、知らなかった。

アウグステはナチスに親を殺された。自身もナチスが相容れず、ずっと反抗心を持っていた。アメリカに興味を持ち、隠れて英語の勉強を頑張る、いわば時代の流れに逆行していた。

しかし、そんなアウグステにNKVD(ロシアの内務人民委員部)のドブリギンはこんな風に言う。

「あなたも苦しんだのでしょう。しかし、忘れないで頂きたいのは、これはあなた方ドイツ人がはじめた戦争だということです。"善きドイツ人"?"ただの民間人"?関係ありません。まだ『まさかこんな事態になるとは予想しなかった』と言いますか?自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です」

アウグステはナチスの一員ではなかった、それどころか迫害されていたのに、だ。

この発言に、彼女は「あれは、私のせいだというのか」とひどく憤りを感じる。


けれど、残念ながらこの考え方は今も変わってないように思う。


今、ウクライナでは戦争が起こっている。20世紀ではなく21世紀の今、戦争は悪だと皆が認識しているにも関わらず、ロシアはウクライナを侵略しようとしている。正直、頭がおかしいと思うし、許せないし、ウクライナのことを思うと胸が痛む。


そんなある日。私の好きな料理系YouTuberのリュウジさんという方がいつも通り料理の動画を上げていた。

「新玉ねぎで鶏をほろほろに煮込む究極のロシア料理」

この動画は炎上した。「ウクライナの人の気持ちを考えろ」「このご時世でロシア料理を作るなんて何事だ」と皆が口々に非難した。


するとリュウジさんはこんなことを言った。

「ロシア料理に罪はない」

彼はただ、いつものように美味しい料理を紹介しようと動画を撮っただけに過ぎなかった。


ハッとした。

当たり前だが、ロシアの文化=ロシア政府ではない。戦争を理由に、文化を淘汰するのは間違っているのだと、気付かされた。


では、人はどうだろうか。

ロシアでは戦争が始まってからプーチン大統領の支持率が80%を超えているらしい。私はこのニュースを見てすぐ、「ロシア国民の大多数が、あの戦争に賛成なのか」とひどく落胆した。しかし、本当にそうだろうか。

ロシアでは今、徹底した言論統制プロパガンダが行われている。戦争反対とデモを行った人は子供大人関係なく逮捕される。学校教育でも思想を植え付け、ニュースもあたかもロシアが正しいのだと主張する。

支持なんてしてないけれど、そう答えると酷い目に会うから仕方なしにそう答えているだけなのかもしれない。自国の偏った情報しか入ってこないから、そう思い込んでいるだけなのかもしれない。

アウグステがヒトラーではなかったように、またロシア人もプーチンではないのだ。


プーチンウクライナにしていることは決して許されない。どんな大義名分があったとしても、それを理由に侵略をしていいわけがない。


でも、ロシア国民が皆戦争を望んでいるわけじゃない。ロシア国民がそれを理由に非難されていいわけではないのだ。


時代は繰り返す、とよく聞くけれど、この考え方は少しずつ変わっていってほしいと思う。そして、戦争などもう起きない世の中になってほしいと願ってやまない。